雅楽奏には四百人も楽師がいた!
『日本書紀』には、楽が演じられる最古の記録として、天武天皇十二年(六八三)の条に「三国の楽を庭中に奏す」とある。この三楽とは新羅楽、百済楽、高麗楽のことで、三国の楽舞がすでにこの時期に伝わっていたことを示している。中国系の楽舞が伝来したのは、遣唐使が派遣された舒明天皇二年(六三〇)以降のことであろうが、七世紀初め、聖徳太子の時代、伎楽に関しては推古天皇二十年(六一二)に伝えられていた。
七世紀の後半、天武・持統天皇の時代に、すでに国に、楽舞をつかさどる楽官がいたことが知られているが、大宝元年(七〇一)に制定された大宝令で、治部省の中に雅楽寮が設置された。国家の公式の行事の際に演奏されるように、さまざまな楽舞が、そこで管理・伝習されたのである。