ライシャワー教授の高い評価
マルコ・ポーロが十三世紀に、イタリアから元の国へ、通商を求めて、大陸横断の旅に出てその旅行記を書いたことは世界でもよく知られているが、それより四世紀前、日本人の円仁(七九四〜八六四)が仏教巡礼のために、唐に渡り、巡礼記を書いたことは、日本人でさえよく知らない人が多い。九年間(八三八〜八四七)も中国各地を旅行し、驚くべきほど詳細で、正確な記述の日記を残しているのである。
世界を瞠目させたマルコ・ポーロの『東方見聞録』が、曖昧な描写、誤った表現、勝手な想像が多かったのに比べると、この日記はそれとは対照的に、当時の中国の実態がわかる正確な記述をしているのだ。
戦前まで限られた日本人研究者の間でしか知られなかったこの旅日記の歴史的資料価値を、広く世界に「文化と宗教のパイオニア」と紹介したのが、アメリカのハーバード大学の日本研究者で、元駐日大使にもなったエドウィン・O・ライシャワー氏であった。