現代文学のような『源氏物語』
『源氏物語』は現代文学のようだとよくいわれる。
そこに描かれた微妙な感情と言葉は、およそ近代人が思っている「古代」の「封建的な」人間関係の中で閉じ込められた社会とは考えられないほど繊細だからである。そこでの登場人物たちは、個性的に書き分けられており、源氏という主人公のみならず、女性の紫の上、葵の上、六条御息所、玉鬘など、それぞれの言動が他人と混同させられることはない。
そして物語が進行するにつれて、登場人物が年を取っていく様が見事に描かれ、どの時代にも変わらない人生の機微というものが表現されている。
これは当時の日記文学が発達していた影響であろうが、日常的な個人の考え方が語られていたということである。まさにこの作品は、近代こそが個人の自由があるとか、個性の花が開いた、というような固定観念を打ち破る内容だといってよい。かえって現代文学の方が、人物が類型的になり、描き分けることができていないと感じられるほどである。