東洋一の文明都市・江戸の誕生
日本史に「江戸時代」がある。それは江戸に幕府が開かれた一六〇三年から明治維新の一八六八年までだ。その時代の江戸という大都市の地位を、東洋と西洋の両方から浮き彫りにしてみたい。
まず、東洋とのかかわりである。
江戸時代の前の日本は古い順に奈良・平安・鎌倉・室町時代と呼ばれる。まず、名前に注目していただきたい。どの時代の名称も政権の所在地からとられている。地名による時代区分は、世界のどの国にも例がない。それぞれの場所に行けば、その時代の様子がわかる。それが日本の特色である。
ちなみに、その慣例にならえば、明治維新からは一世一元で明治・大正・昭和・平成の元号で呼ばれているが「東京時代」と一括できる。東京の次の首都機能移転先は、国会等移転審議会による答申(一九九九年十二月)が出ており、那須野ガ原(栃木県)が筆頭候補地だ。やがて東京一極集中を是正する道州制の導入とともに那須野ガ原への首都機能移転が取りざたされる頃に「東京時代」の名称は定着しているだろう。東京時代とは、東京が西洋文明をフルセットで受容する拠点であった時代であり、東京がいわば西洋文明の変電所になって全国に西洋文明を配電するとともに、西洋文明の国風化に成功した時代である。