外国人が見た日本
江戸の末期、日本を訪れた西洋の人々の日本の教育水準についての評価は飛び抜けて高いものがあった。
ロシアの軍艦ディアナ号艦長ゴローニン中佐(一七七六〜一八三一)は、一八一一年、測量のため国後島に立ち寄り幕府に身柄を拘束され、二年間の監禁生活を送ったが、「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である」と紹介している。アメリカの捕鯨船プリマス号の船員マクドナルド(一八二四〜一八九四)は、一八四八年、利尻島に漂着を装って密入国して捕えられ、長崎に送られて半年余り監禁されていたが、「日本社会は法治国家で、日本人は礼儀正しく、民度も高い。すべての人が読み書きの教育を受けている」と書き残している。なお数年後の一八五四年、ペリー提督率いるアメリカ艦隊と幕府との会談で日本側主席通訳を務めることになるのが、長崎でマクドナルドから英会話を学んだ森山栄之助である。
トロイの遺跡発掘で有名なドイツの考古学者シュリーマン(一八二二〜一八九〇)は、トロイ発掘の六年前の一八六五年に旅行者として日本を訪れ、一カ月の間、江戸、横浜などに滞在しているが、「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。