江戸城無血開城の
と実
死者約二百万人。大革命からナポレオン帝政の二十五年間に、フランスが革命や内乱または戦争で失った犠牲者の数である(ルネ・セディヨ『フランス革命の代償』)。人口がまだ約二千七百万人の頃の、死者二百万人である。「自由・平等・博愛」の革命の内実は、破壊と殺戮の連続であって、産業、経済、文化といったあらゆる方面でフランスに深刻な衰退をもたらしていた。
近代という時代の幕開けは、悲惨な代償を伴う場合も少なくなかったのである。だが、日本は諸外国とは比較にならないほどの最小限のコストで近代という時代を迎えていた。この間の事情を最も鮮やかに示している出来事が、勝海舟(一八二三〜一八九九)と西郷隆盛(一八二七〜一八七七)の会談による「江戸城無血開城」の事例であろう(慶応四・一八六八年三月十三、十四日)。
二百七十年もの間、日本最大の封建領主であった徳川幕府が、江戸の街を戦火から救い、混乱に乗じた外国の侵略から日本を守るために無抵抗での降伏を申し入れ、その権力や財産を平和的に朝廷に手渡したという歴史上の名場面である。