戦艦大和はなぜ造られたのか
昭和十六年(一九四一)十二月十六日、呉海軍工廠で一隻の戦艦が竣工し、軍艦旗を掲揚した。戦艦大和である。八日前の十二月八日には、日本海軍機動部隊のハワイ真珠湾攻撃で、日米は戦端を開いていた。日本海軍が、この世界最大最強の戦艦の完成に大きな期待を寄せていたことは疑いない。
その概要は、基準排水量:六五、〇〇〇トン、全長:二六三メートル、全幅:三八・九メートル、馬力:一五万馬力、速力:二七ノット、主砲:46センチ三連装砲塔三基、副砲:15・5センチ三連装砲塔四基、高角砲:12・7センチ連装砲塔六基、機銃:25ミリ三連装機銃八基、航空機:六機。
そして、この巨艦は、世界のどこの海軍の戦艦にもない46センチ主砲弾に対する防御を備えていた。すなわち、同時代のどの戦艦と戦っても無敵ということができるだけの攻撃力と防御力を持っていたのである。
日本海軍は、なぜこのような巨艦の建造を求め、そして実行したのであろうか。