廃墟からの復興
日本は第二次世界大戦において、アメリカに完膚なきまでに叩きのめされた。東京をはじめとする大都市部への執拗な空襲、広島へのウラン原爆投下、長崎へのプルトニウム原爆投下は、一般民間人をも対象とした無差別大量殺戮であった。明らかな国際法違反である。
日本民族、日本国家、日本文明消滅の危機を救ったのは、昭和天皇の聖断であった。昭和二十年(一九四五)八月十五日正午、ポツダム宣言受諾を主な内容とする「終戦の詔書」がラジオ放送される。いわゆる玉音放送である。詔書は次のように結ばれている。
「……日本は不滅であると信じ、今後の道のりは重く遠いけれど、全員の力を日本の将来の建設に傾け、道義を守り、固い信念を持ち、我が国を発展させ、世界の流れに遅れないようにしていきましょう。日本国民よ、この私の言葉をよく心にとどめて行動してください」(山本峯章『天皇問題』光人社、二〇〇五年刊の現代語訳より)
「玉音」は、自信を喪失し途方にくれる国民に、敗戦を知らせるだけでなく、日本再生の決意を闡明したのである。まさに神国日本、敗戦のその日から、国民一丸となっての復興が始まるのである。このような国は日本だけである。天皇制の偉大さを想わずにはいられない。
ところで、敗戦直後の大問題は、なんといっても食料問題である。当初は、何百万人もの餓死者が出るのではと懸念されたが、実際はごく少数の餓死者ですんだ。これには世界も驚いた。その理由について考えてみたい。
第一は、アメリカによる大規模食料支援である。小麦、小麦粉、脱脂粉乳等の援助によって、日本人、とりわけ子供たちの食料危機は緩和された。