人生には、山もあれば谷もある。私が職業作家になって、今年で10年になる。
2005年3月に新潮社から『国家の罠――外務省のラスプーチンと呼ばれて』を上梓したとき、私は作家になることができるなどと小指の先程も思っていなかった。私は外交官として、文字通り、命懸けで北方領土問題の解決に取り組んできた。2002年1月に起きた鈴木宗男疑惑の嵐に巻き込まれ、私はこの年の5月14日、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された。そして、512日間、小菅の東京拘置所の独房に閉じ込められた。最後の数か月間は、私の独房の両隣には確定死刑囚が収容されていた。世間から隔離された環境にいると、心理に変化が生じてくる。こうして人生を転換することも悪くないと思えてきた。
私は北方領土交渉で間違ったことは何もしていない。政治家や官僚の世界に権力闘争は必ずある。闘争だから、勝者がいれば、必ず敗者もいる。鈴木宗男氏や私は、権力闘争に敗れたが、別に間違ったことをしたわけではない。しかし、世間は、私たちが国益を裏切って、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方四島返還を放棄したと非難した。これは外務省の一部の人々が流した虚偽情報だった。しかし、虚偽情報でも多くの人々が信じれば、それが真実になってしまう。
外交の世界に誤解はつきものだ。私が沈んでも、北方領土交渉が進み、日本とロシアが戦略的提携を進めることができれば本望だと私は思った。獄から出た後は、土地勘がある北海道の釧路か根室にとりあえず住んで、中学生、高校生を相手に英語と数学を教える学習塾を開こうと思っていた。私は、若い人たちに勉強を教えるのが好きだ。そして、大人で希望者がいれば、ロシア語を教えようと思っていた。当時は、離婚して独り身だったので、生活はなんとかしのげると思っていた。私は猫好きだ。どこかで、捨て猫と出会うだろうから、ペットの飼育が可能なアパートに住もうと思っていた。経済的に余裕がないだろうから、一番先に見つけた捨て猫を一匹だけ飼おうと心の中で決めていた。そして、外務省の元同僚やマスコミ関係者との関係は一切断とうと思っていた。
しかし、心残りだったのは、私を信頼してついてきてくれた外務省の後輩たちのことだった。この人たちに、私が取り組んでいた仕事の全体像、さらに私が何を意図し、考えていたかについて、できる限り正確に伝えておかなくてはならないと考えた。その結果、生まれたのが『国家の罠』だ。この本は、ロシアを担当する外交官であった私の遺言だった。遺言を書いた後は、気分を切り替えて、まったく別の人生を歩むつもりだったが、どうも人生は計画した通りには進まない。幸い、『国家の罠』は読書界に受け入れられた。すると、読者から「あなたの本を読んだが、ロシア人の物の見方、考え方について、よくわからないことがあるので説明してほしい」、「なぜ大学では神学を勉強したのに外交官になったのか。その動機を知りたい」というような質問が寄せられてくるようになった。読者からの真面目な質問に触発されて、私に「もっと書きたい」という意欲が生まれてきた。そうして、書き続けているうちに、あっという間に10年がたってしまった。
職業作家としては、比較的広い守備範囲を私はもっている。連載の締め切りだけで月平均80本ある。その中で『週刊SPA!』(扶桑社)の「インテリジェンス人生相談」は、私にとって重要な読者との窓である。連載を始めた当初、「半分、冷やかしのような相談がたくさんくるんだろうな」と思っていたが、それは間違いだった。どの相談も真剣なのである。21世紀になって、弱肉強食の新自由主義の渦に日本社会も巻き込まれた。格差は拡大していく。学校を卒業してもなかなか仕事が見つからない。就職していても、派遣で身分が不安定だ。それだから、職場のパワハラやセクハラについても文句を言えない。こういう状態だと、職場との人間関係だけでなく、家族との関係もギスギスしてしまう。悩みを抱えている人はたくさんいる。真面目な人ほど、自分で悩みを背負い込んでしまって鬱になってしまう。一人で悩みを抱えずに、誰かに相談すれば、展望が開けることもある。私の場合、メディアバッシング、逮捕、投獄、裁判、失職などのどん底の経験がある。どん底からどうすれば這い上がることができるかについて、それなりの経験もある。私の経験を少しでも読者が抱えている悩みを解決するために用いてほしいと思い、私はこの連載に全力で取り組んでいる。
時には、私にとって、まったく受け入れられないような考え方をしている読者から質問が寄せられることもある。こういうときも、私は「いかなる状況においても相談者の味方である」という原則を崩さないことにしている。
いかなる状況においても、人生を諦めてはいけない。そうすれば、必ずどこかの時点で光が見えると、自分の経験を踏まえ、私は確信している。
本書を上梓するにあたっては、『週刊SPA!』で連載を担当していただいている池垣完氏にたいへんにお世話になりました。この場を借りて、深く御礼申し上げます。
2015年2月15日、曙橋(東京都新宿区)の自宅にて
佐藤優