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第三章 『女を忘れろ』〜小林旭という商品〜

『不器用なもんで。』
[著]金子達仁 [発行]扶桑社


読了目安時間:31分
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 昭和36年頃から日活にも労働組合が結成され、「時間給」という概念から「時間外手当」が請求されるようになる。このシステムがモノ作りに与えた打撃は大きかった。

 ある日の撮影で、小林組が終了予定時間の5時を過ぎてもカメラを回そうとしていると、1分も経たないうちに労働組合の幹部が飛んで来る。
「5時の予定なら5時でピタッと閉めて」

 またあるときは「あと少しで終わるから」と、夕飯の時間を後回しにして撮影を続行していると、
「1時間なら1時間の飯時間を取らなきゃいけない」

 と、わざわざ言いにくる。「分かった仕方ない」と、夕飯をとって再開すれば、時計は9時を回り、「時間外手当」が発生した。
「労働基準法が改定されてから、映画の仕事は確実に不自由になった。その足の鈍さに伴うように成績も極端に伸びなくなっていったんだ。ただ“好き物”が集まって『何時になろうといいから、とにかくいいものを作ろうよ』とやってたのは昭和30年代半ばぐらいまでかな。それまではガラの悪い渉外部門のチーフが『監督よお、あと2、3時間で終わるなら今日やっちゃおうよ。飯なんか後でいいよ』と言えば、話が通った。それが、『ダメだ、ダメだ。もう6時だから切るぞ』ってライト消していなくなる。もうまったく現場が変わったよ」

 業を煮やし、
「時間外手当が欲しいなら俺がやるから、撮影をやろうよ」

 と言ったこともあったが、年の暮れに一緒に騒いでいたスタッフから、
「組合の幹部がそこらじゅうウロウロ見回ってるからダメなんですよ。とにかくやめてください」

 と、止められた。

 職人からサラリーマンになった仲間たちは、文字通り「仕事だけの仲間」になった。

 映像製作の合理化はテレビの誕生によりますます進む。昭和39(1964)年の東京オリンピック前に一気に普及したテレビは、ナショナルの「各家庭にテレビを一台」のコマーシャルで、すっかり浸透していた。テレビに夢中になる人が増えた分、外で映像を見る人口は急速に減っていく。そこに改定された労働基準法によって膨らんだ「人件費」を補うため、予算をコストダウンするという悪循環が定着していった。

 それでも大会社「日活」は、看板を下ろすわけにはいかない。

 そこで、他の製作会社へ看板を「貸す」ようになった。小林からすれば、出稼ぎの始まりだった。
「昭和45年くらいから、映画畑が過疎化してった。要するに自分のフランチャイズみたいなものがなくなってきたんだ」

 日活にとって会社の看板でもある小林は、役者業だけではなく「プロとしての生き方」まで叩き込まれていた。
「お前は小林旭だ。名前がある。自分の看板映画を背負った責任があるんだ。その名前で銭を稼げ」

 そういわれ続けた身体には、その任を担う生き方、振舞い方が染みついていた。常に観客が何を欲しているのかを考え、興行成績を心配し、当たらなければ自分の責任だと思った。

 意外にも、裕次郎にその任は課せられていなかった。

 大部屋出身の小林に対し、原作者・石原慎太郎の強い要望で『太陽の季節』への出演が決まった国民の太陽・裕次郎は、最初から最後までVIPだった。日活の大事な「ドル箱スター」は演技をする必要すらなかったという。

 当時の撮影所にはこんな声が響いていた。
「裕ちゃんはそのままがかっこいいんだからね。そのままでいいんだからね」

 その扱いは、長く続いた映画界の旧式的な伝統までも変化させていく。缶ビールを片手に海水パンツ一枚、ゴム草履、というまさに『太陽の季節』の主人公、津川竜哉さながらの破天荒なファッションで撮影所に現れる裕次郎。そんな“裕様”を売り出すべく、日活は予定より早くマスコミ陣を撮影所へ呼び、待たせるだけ待たせておいてから、裕次郎を派手に登場させた。
「なんでえ! あいつ、好き勝手しやがって」

 と、刃を向けようとする先輩俳優もいないわけではなかったが、立場の差、違いは歴然としており、しょせんは負け犬の遠吠えでしかなかった。

 ところが、昭和30年代も半ばになると、裕次郎の作品は緩やかな下り坂を辿り始める。代わりに「渡り鳥シリーズ」や「銀座旋風児シリーズ」など、日活にとっては必ずしも本命ではなかった小林の作品が爆発的ヒットを連発していた。いつしか日活の興行成績は「裕次郎映画」がつけた火を「旭映画」が燃やし続けるという形になっていた。

 しかし、裕次郎と小林の“格差”は縮まることはなかった。

 日活は、安い製作費でも成績を出す「旭映画」を量産し、その分、「裕次郎映画」に金と時間を費やしていく。1年で13本という正気の沙汰ではないスケジュールを押し付けられても文句ひとつ言わず、「客が入らなければ自分の責任だ」と稼いでくれる小林は、ある意味では、日活の“カモ”だったのかもしれない。

 裕次郎の映画と比べ、3倍4倍の客を入れ、日活の興行収入を底上げした小林だったが、いつまでたっても裕次郎より収入は低かった。小林の知る限り、収入は3分の2以下だったという。

 それでも小林は日活の仕事が好きだった。興行成績が目の当たりにして分かる。それゆえにもっとお客を呼びたくなる。客が入れば給料が上がる。給料が上がればスタッフにいい思いをさせてやれる。単純にバロメーターが上がっていくそのシステムが、性に合っていたからだ。

 金をもらえば、
「ありがとうございます」

 とさえ言えばいい。面倒くさいことは何もない。仕事のことだけを考えていればそれで十分な日活は居心地がよかった。

 だが、それはあくまでも日活の中での話だった。一歩外へ出ると、「小林旭」はただの一俳優にすぎなかった。
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