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(2021/11/26 追記)

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エンタメ
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第四章 『春来る鬼』〜小林旭という戦い〜

『不器用なもんで。』
[著]金子達仁 [発行]扶桑社


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 自分の名前に敗れた不運な男は、昭和51(1976)年、ついに会社をたたむこととなる。

 同年10月7日、九段会館で行われた“倒産記者会見”で小林はこう語った。
「はかない夢を見ていた」

 当時、「負債額は1億7000万円」と報道されたが、実際はその8倍以上、14億にも及ぶ借金がのしかかっていた。21世紀の14億でも、バブル期の14億でもない。聖徳太子に神々しさを覚える人が少なくなかった時代の14億である。あまりにも、途方もない額だった。

 だが、小林は諦めなかった。
「俺には歌の仕事がある」

 借金取りから守るため、家族を弁護士の別荘へ避難させるほど切羽詰まっていた小林には、もう自分のプライドに固執する余裕はなかった。

 時には後輩に頼み、歌う場所を提供してもらう。どこへでも行き、どんな場所でも歌った。
「あの当時は九州から北海道まで全国各地にキャバレーがあったからよかった。おかげで毎日歌えたよ」

 正真正銘“ギターを持った渡り鳥”になった小林は、撮影で全国各地を飛び回っていたのも今は昔、今度は日本中の赤提灯を回った。そんな中、不思議な幸運が訪れる。

 昭和50年に発売したシングル曲が、発売から2年経った昭和52年、つまり会社倒産の翌年から急にヒットし始めたのだ。曲名は「昔の名前で出ています」だった。
「最初の頃はバラバラッとしか入らなかった客が、歌がヒットしだすと、どこのキャバレーも満杯になった。入りきらないもんだから、店も消防と喧嘩しながら規定より多くの客を無理矢理入れるほどだったよ。それまでずっとツイてなかったから、満杯になったキャバレーで歌うのは気持ちよかったな」

 仕事は激増した。一日24時間のうち時間の許す限りステージをこなした。振り返ると、そんな日が1年に200日もあった。

 借金は激減した。返済に10年以上はかかるはずだと覚悟し、記者会見でもそう口にした小林だったが、14億という目もくらむような額は、真夏の太陽に照らされた残雪のように、ゼロの数を減らしていった。

 そればかりか、悪運の帳尻を合わせるかのようにタイミングよく現れた第一次カラオケブームが、曲のヒットを後押しし、ついに通帳残高はプラスに転じたのである。

 わずか数年で14億円もの借金を返し、綺麗な体になった風雲児は、貯金をする余裕ができると、がぜん勢いづく。

 日本が好景気の波に乗る平成元(1989)年。俳優という業に嫌気がさし、かといって単なる一個人にもなれなかった小林は、実力で得た金で改めて小林旭として戦う覚悟を決めた。

 人生を賭けて挑んだ次の挑戦は、「監督」だった。

 

 監督・製作総指揮を務めた代表作『春来る鬼』──。

 かつて月1本のペースで量産される映画に出演していた小林は、この作品の撮影に丸1年をかけた。だが――。
「日本人のスケールの小ささと、金と時間のなさ、協力体制の弱さ、そんなことが災いして、撮りたくても撮れないものがあったり、これができていたらもっと違っただろうかと悔やんだりしたよ。やっぱり人が集まって何かをするときは、お金じゃなく、もっと大きな人と人との信頼感が大切なんだって再確認させられた経験でもあった」
『春来る鬼』は、小林が昭和30年代から密かに構想を描き、50年代後半から企画を立て、64年からやっと撮り始めたという、長期戦の末に完成した映画だった。

 主演には素人だった松田勝を起用。スタッフは黒澤明監督の撮影チーム、通称「黒澤B班」を使った。美術スタッフは、約5億円を支払って東宝の美術部を口説き落とした。

 出演者、スタッフ、美術、どこにおいても妥協はしたくなかった。実に25年間「自分の手で映画にしたい」と思い続けた情熱のすべてをかけるため、金に糸目をつけず、最高のチームを作った。

 しかし、またしても孤独が待ち受けていた。

 撮りたい絵をカメラマンに説明すると、
「ああ、はいはい。じゃあ、こんなとこですね」

 と流される。

 彼らの目や態度には、
「小林旭は俳優だろ? お前なんて監督として認めねえよ」

 と言いたげな空気がありありと流れていた。

 長年、鬼才・黒澤明の下で映画を撮っていた「黒澤B班」のプライドは、監督としては経験のない小林の撮りたい絵に対する強いアレルギー反応となって表れたのである。黒澤の絵、黒澤B班の撮る絵に惚れたからこそ彼らに頼んだ小林の思いは、残念ながら、まるで通じなかった。
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