このように、「精神」における屈従=コンプライアンスは、どうしても、一筋縄では行かない複雑な様相を呈しています。それは、「行為」における屈従=コンプライアンスは容易に見抜くことができることと、対照をなしているということができるでしょう。しかし、精神における屈従=コンプライアンスという現象を理解するためには、こうした心の底に立ち入った精神分析的な側面を視野に入れることが、どうしても求められるのです。
さて、このようにして、戦後の日本ではいわゆる「インテリ層」の精神の奥深くに、新自由主義の考え方がはびこっていくこととなります。
こうなってくると後は、この新自由主義が自己増幅的に日本国内の中で拡大していくことになります。