五輪開催地をめぐる国際オリンピック委員会(IOC)の選定を考える際、「ソルトレークシティ冬季五輪招致スキャンダル」は知っておかねばならないだろう。
IOC委員にとって、開催地決定の投票権は最大の権限である。そのため、かつては招致委員会による接待攻勢は激しさを増した。時には度を越し、時にはゆがみも生じる。1998年暮れから、IOCは招致スキャンダルに揺れた。
当時、筆者は共同通信社の記者としてニューヨークに駐在していた。何度かユタ州ソルトレークシティに取材で飛んだ。スクープした地元テレビ局のジャーナリストにも会った。彼は言った。「オリンピックの実態は、カネに群がるスポーツ・マフィアの五輪ビジネスというべきだ」と。
IOCは1999年1月の臨時理事会で、ソルトレークシティ冬季五輪の招致に絡んで、ワイロを受け取った疑いのあるIOC委員6人を追放する処分を下した。ジャンクロード・ガンガ(コンゴ共和国)らアフリカ3人、南アメリカ2人、オセアニア1人だった。このほか、デービッド・シバンゼ(スワジランド)ら3人のIOC委員が辞任した。金雲龍(韓国)ら3人は継続調査の対象とされ、アントン・ヘーシンク委員(オランダ)は注意処分となった。
理由は、IOC委員の家族への金銭提供や高額な贈り物攻勢を受けたからであった。