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なぜ東京五輪招致は成功したのか?
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ルポ・エッセイ
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1【勝負の年、2013年】

『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』
[著]松瀬学 [発行]扶桑社


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 勝負の年、2013年が明けた。東京・西新宿の東京都庁舎の41階。窓外に新年の青空が広がり、眼下にはビル街が並ぶ。

 1月4日金曜日の早朝。東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の仕事始めである。招致成功にかける熱意の表れか、式典は予定より3分早い9時27分に始まった。
「あけましておめでとうございます」

 招致委の水野正人専務理事が窓側に立ち、大きな声を張り上げる。
「一枚岩となって、この招致を成功させないとなりません。勝ちにいきましょう」

 事務局の職員が約40人、メディアもほぼ同数。水野専務理事の周りを、テレビカメラ、新聞社のカメラが取り囲む。
「今年は1月1日にオリンピックの父といわれるクーベルタン男爵が生まれて150周年という記念すべき年です。その2013年の9月7日、いよいよブエノスアイレスの国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催都市が決定されます。あと246日。8カ月強の間にやるべきことをやっていきましょう」

 クーベルタン男爵とは、近代オリンピックの創始者、ピエール・ド・クーベルタンのことである。1863年の元旦にフランス貴族の三男としてパリで生まれた。オリンピックを現代に復活させ、国際オリンピック委員会(IOC)を創設し、約30年にわたってその会長を務めた。オリンピック・ムーブメント(五輪運動)に生涯を捧げた。

 五輪招致活動は、2011年3月11日の東日本大震災と無縁ではありえない。当初は「復興五輪」という位置付けだったが、「原発問題(放射能汚染)」と「エネルギー需給問題」に不安を抱かせるということで、立候補ファイルでは震災復興の記述は少しトーンダウンした。だが五輪開催が復興のシンボルとなることに変わりはなかろう。
「被災地からのサポートもしていただき、(五輪招致の)松明の火は消さない。石原慎太郎前知事の威勢のいい掛け声とともに、2012年の9月から我々は活動を本格的に始めています。この大きな災害からの見事な復興と、世界を魅了する素晴らしいオリンピックを日本で開催するということで、“いま、日本にはこの夢の力が必要だ”という運動をしているのです」

 しかし、と言葉に力を入れた。
「いままでの活動の中で反省点もあります。それはコミュニケーションです。内外とも、いいコミュニケーションをとることが大事です」

 2016年招致の失敗の反省でも、招致委のコミュニケーション不足は指摘されていた。とくに招致委と東京都の連携不足である。勝利の条件は、コミュニケーションを密にして一枚岩になれるかどうかだろう。
「私たちは一丸になって、この招致を成功させねばなりません。これが大きな力になります。本当に日本が元気になるよう、みなさんにご協力お願いします。私たちは生身の人間ですから、心を大きく持つこと、健康に注意すること、そういったことを意識しながら、この招致を成功させたいと思います」

南南東にゼンシ〜ン!

 新年のあいさつとはいえ、選挙演説のごとき、力の入れようだった。続いて東京五輪招致委の小倉和夫評議会事務総長が中央に歩み出る。
「あけましておめでとうございます」

 東大卒の元外務省エリート。イギリスのケンブリッジ大学でも学び、韓国大使、フランス大使などを歴任し、国際交流基金理事長も務めた。物腰がやわらかく、ソフトな語り口。1938年生まれの紳士も珍しく、大声を出した。
「水野専務理事から力強いあいさつをもらいました。新年を祝って乾杯といきたいところですが、東京都庁で乾杯することは相ならないという指示がありましたので、今日は乾杯はやめておきます。あとで猪瀬知事に抗議しようと思います」

 そう言って、事務局員の笑いを誘った。
「次回は明治神宮のお神酒を持ってきますので。あれはお酒じゃないので、都庁でも乾杯で気勢をあげることができます。まあ、それは冗談ですが…」

 開催地を決める9月7日のIOC総会はアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれる。東京から見たら、地球の裏側、方角は南南東の位置となる。
「今年は巳年。巳年というのは、南南東の方角がいいそうです。家を建てるなら南南東に…。東京にとって、南南東はブエノスアイレスです。みなさん、南南東を向いてゼンシン(前進)の唱和をお願いします。さあ、ゼンシ〜ン!」

 女子事務局員が気恥ずかしがっている。小声で「ゼンシン」。もう一度、と大きな声がかかる。「ゼンシ〜ン!」と。
「ゼンシ〜〜ン!」

東京に次はない。これがラストチャンス

 ライバルはイスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)。2013年の年明けの時点では、海外メディアによると「イスタンブールと東京の一騎打ち」との見方が強かった。だが、その後、潮目がコロコロ変わっていく。

 4年前の2016年招致レースの際も、投票が行われた2009年の年初には「リオデジャネイロが勝つ」とは、ほとんどの人が考えていなかっただろう。

 仕事始めのあいさつの後、部屋の外で水野専務理事と雑談すれば、専務理事は“2回目の立候補”を強調した。1回目があるから2回目がある。1回目の失敗で学んだことは大きかったという。
「前回の計画は大変よかったけれど、タテ割り行政がモロに出ていたので、横の展開による相乗効果がなかったんです。でも今回はいろいろな部分がお互いに協力し合って、ほんとチーム一丸になってオリンピックを呼ぼうとしているんだというカタチなんです」

 東京の課題は、国内で五輪開催支持率のアップ、海外ではIOC委員の取り込みである。2回目の挑戦だから、前回よりIOC委員との関係は密にしやすいだろう。とくに2012年のロンドン五輪の際にIOC委員となった竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長がIOC委員攻略のカギを握る。

 水野専務理事は、東京の招致成功の可能性は前回より高いとみていた。だがイスタンブールもマドリードも手ごわい。カギはロンドン五輪の招致レースのときのように、東京が、IOC委員を「安定志向」に傾かせることができるかどうか、であった。

 ライバルのマドリードは3度目、イスタンブールが5度目の挑戦となる。東京はまだ、2度目の招致挑戦であった。目をぎらつかせて言い切る。
「ただ、東京には次はない。ラストチャンスです。もう背水の陣です。うしろは断崖絶壁で、さがりようがないのです。ここで勝つしかない。何度も言いますが、ここで勝つこと以外は考えておりません」

 親しい広報担当がにこやかな笑顔で寄ってきた。
「雰囲気はいいですよ」

 新しい都知事に代わって、「いい感じなんです。新しい風が入っているということはIOC委員に対していいイメージだと思うんです」と言うのである。

ファーイーストのハンディを克服せよ

 41階の窓側の談話エリアで、東京五輪パラリンピック招致委の中森康弘理事とふたりで缶コーヒーを飲む。青空がどこまでも延びる。住宅地は豆粒のように小さく、遠くには富士山までがくっきりと見えていた。

 中森理事はJOCの総務部・会長室室長、つまりは招致委の竹田恒和理事長(JOC会長)の片腕である。中学、高校、大学と陸上(ハードル)選手として活躍。1985年、日本体育協会に入り、1991年のJOC完全独立に伴い、JOCに移籍した。いわば五輪運動はライフワークみたいなものである。

 竹田理事長と同様、東京五輪パラリンピック招致に全力を傾けている。一見、冷静な風情ながら、芯はアツい。招致活動のためにはIOCの本拠があるローザンヌに滞在するほうが有利と判断し自腹でローザンヌにアパートを借りた。
「地理的条件は大きいですから」

 中森はそうつぶやいた。竹田理事長と一緒にスポーツ界に「顔」をつくってきた。ただ機会が少なければ限界がある。IOC委員の半数がヨーロッパに住んでいるのだ。
「東京のマイナスのひとつは“ファーイースト”ということ。ヨーロッパから遠いのです。もちろんリオデジャネイロも遠かった。でも五輪招致に勝った。東京も、ハンディを乗り越えて、ここに来たくなるようなよさをアピールしないといけないのです」

 なぜ東京での開催なのか、と聞けば、中森は缶コーヒーを一口、飲んでから、
「停滞した日本社会を活性化させるためにはビッグイベントしかない。ロンドン五輪後の50万人のパレード、オリンピックには人を寄せ付ける力があることを確信しました。東京でオリンピックをやれば、今度はオリンピック選手が競技するところを見ることができる。スポーツを通じての教育効果は、とてつもなく大きいのです」

 猪瀬知事が誕生し、自民党政権が復活した。財界、政界の姿勢が、2016年五輪招致当時とは違う。皇室も前回よりも、サポートしていただいているように思う。スポーツ界も選手を中心に熱の入れ方が強まった。
「(勝利の)下地というか、必要条件はそろってきた。これから8カ月、投票に至る十分条件をどうつくっていくかです」

猪瀬都知事の誕生で、招致熱はさらに上がる

 時間が前後する。2012年1216日。東京都知事が、突然辞任を表明した石原慎太郎から、猪瀬直樹に代わった。衆院選で自民党が圧勝した日、東京都知事選では前の副知事の猪瀬が史上最多の得票数(約434万票)で勝利をおさめた。

 猪瀬知事は、石原前知事のもと、副知事として東京五輪パラリンピック招致を推し進めてきた。選挙戦の公約でも「石原都政の継承」「東京五輪の推進」を掲げていた。既定路線とはいえ、招致委にとって知事交代はプラスとなる。なぜかといえば、予想以上の票数だったのだから、東京五輪招致も都民の信任を得たと判断されるからである。

 もちろん主要候補のなかに招致反対の人はいなかった。選挙結果をそのまま「五輪招致大賛成」に直結させることはできないけれど。

 猪瀬知事は就任後、断言した。
「絶対にオリンピックをとりにいくぞ!」

 悲鳴に近い渇望だった。五輪招致の旗振り役となる猪瀬知事にはぎらぎらとした熱意がみえた。2012年のロンドン五輪では、石原氏は健康状態を理由に現地視察を取りやめたが、猪瀬知事はロンドンに入り、選手村や活動拠点のジャパンハウスを訪れ、日本選手団を激励していた。国際スポーツ界とのネットワークづくりにも励んだ。

 強烈な個性がウリだった石原氏と比べると、猪瀬知事はアンチ派が少なくなった。タカ派である“石原アレルギー”は結構いた。発想力、論理、行動力は負けまい。だが石原のようなリーダーシップは感じられない。発言のインパクトでは劣る。海外メディアでの露出度は落ちるだろう。いわゆる「発信力」。海外メディア対策も課題のひとつとなった。

招致活動キックオフ! 最初の仕事は膨大な立候補ファイルを提出

 1月7日の月曜日。いよいよ本格的な招致活動の“キックオフ”である。2020年東京五輪パラリンピック招致員会はスイス・ローザンヌにあるIOC本部を訪ね、開催計画の詳細を記載した「立候補ファイル」を提出した。立候補ファイルはじつに352ページにも及んだ。

 このときの東京五輪パラリンピック招致委メンバーは、水野専務理事ほか、中森康弘理事、東京都スポーツ振興局の延與桂(えんよかつら)競技計画担当部長。さらには招致アンバサダーの澤穂希(さわほまれ)(女子サッカー)、鈴木孝幸(パラリンピアン)だった。


 1月8日火曜日。東京。

 東京五輪パラリンピック招致委員会は、東京都庁で、立候補ファイルに関する記者会見を開いた。ひな壇の中央に猪瀬知事が座り、招致アンバサダーの吉田沙保里(さおり)(女子レスリング)もロンドン五輪の真っ赤な公式ブレザー姿で並んだ。五輪3連覇を成し遂げた国民栄誉賞アスリート。

 猪瀬知事は東京都の都市力をアピールした上で、こう漏らした。
「4年前とは雰囲気が全然違う。今回は招致成功のチャンス」

 確かに2016年五輪招致のときと比べると、政治情勢のほか、政財界、スポーツ界と周りの熱意がちがう。さらにいえば、レスリングの吉田や“なでしこジャパン”の澤穂希らが招致アンバサダーとして東京のPRを熱烈サポートしている。

 アンバサダーとは、大使を意味する。つまり招致アンバサダーは、招致のPR部長みたいなものか。メディアは現金である。記者会見にアンバサダーがいると、出席する人数がグッと増える。この日は、約200人のメディアが東京都庁第1本庁舎の7階ホールに押しかけていた。

 招致アンバサダーは、澤穂希や吉田沙保里のほか、女子重量挙げの三宅宏実、フェンシングの太田雄貴、パラリンピックの土田和歌子、鈴木孝幸、国枝慎吾、シンクロナイズドスイミング、元エースの小谷実可子の計8人が就任していた。

 アンバサダーの条件は、アスリートとしてズバ抜けた実績を持っていることと、国内外の知名度が高いこと。語学が堪能ならもっとよい。とくに現役五輪メダリストはアピール力が大きい。

 戦力広報部の西村亮副部長はこう言って、ほくそ笑むのである。
「アンバサダー効果は予想以上です。一つの戦略として、今後もメンバーが増える可能性が大きいでしょう」

 実際、この後「Cool Tokyoアンバサダー」として滝川クリステルが、「スペシャル・アンバサダー」にはドラえもんが就任することになった。

 会見後、吉田は言った。
「やはり招致成功には、日本のみなさんの力が必要です。できる限り、私も東京をアピールして、東京五輪パラリンピックの支持率をあげていきたい。選手の力は大きいと思います。もっともっと(メディア露出を)増やしていきたい」

 吉田はまた、ロンドン五輪後の「50万人の銀座パレード」でメダリストへの注目度に驚き、自身の影響力を知ったようだ。両手の爪にはカラフルなネイルアート。招致委に必要なものはと聞かれると、静かな口ぶりながら、きっぱりと言った。
「みんながひとつになること」

 五輪アンバサダーは支持率アップに貢献していくことになった。振り返れば、2012年ロンドン五輪の開催決定時には“ベッカム様”ことデイビッド・ベッカムが、2016年リオデジャネイロ五輪の開催決定のときにはブラジルの英雄、「サッカーの王様」ペレが尽力した。
「一人でも多くの人がどうしてもオリンピックを開催したいという気持ちを持てば、(成功の)確率は上がるでしょう。日本のたくさんの人にオリンピックを生で見てほしい」

 2020年五輪開催時、吉田は37歳となる。独身ながら、こう言って笑いを誘った。
「ママでも金を獲りたいなあ」

原発事故の風評を払拭

 1月10日の木曜日。今度はロンドンで招致委が海外メディア向けの記者会見を開き、国際活動をスタートさせた。

 壇上には、「Discover Tomorrow」と書かれたボードが置かれた。その前に猪瀬知事のほか、招致委の竹田理事長、水野専務理事、福井烈・文部科学副大臣、招致アンバサダーの澤穂希、鈴木孝幸が並んだ。

 猪瀬知事は、英語を交じえながら、東京の都市力をPR。
「世界でもっとも安全で先進的な大都市の中心で開催されるダイナミックな祭典となります。世界中の観客や選手にユニークで忘れられない経験を与えることができます」

 海外メディアから、「原発事故の影響」を問われると、想定問答集のとおり、こうきっぱり答えた。
「現在の東京の放射線量はロンドンと変わりません!」

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