神話は、アメリカ合衆国誕生の頃から、政治に役割を果たしてきた。
建国の頃、アメリカ人を、民族として一つにしたのが、「ジョージ・ワシントンの神話」だ。
国の組織が弱く、伝統もない国では、ワシントンの神話は欠かすことのできないものだった。たとえ神のような人物でなかったとしても、人々はかまわず崇拝したことだろう。
独立革命から南北戦争の頃まで、アメリカ人は、熱心に神話づくりに取り組んだ。登場人物は、実際よりも大きく立派に描かれた。とくに有名になったのは、ベン・フランクリン、デービー・クロケット(西部開拓者、政治家)、エイブラハム・リンカーンなどの伝記だ。
アメリカ人は、そうした偉人の物語を語り合い、子どもたちに聞かせた。その行動を国づくりとは呼ばないが、していることは、たしかに国づくりだった。神話を通じて、アメリカ人とは誰であるか、どういう価値観を持っているかを、定義した。
アメリカという共通の先祖や部族の結びつきがない移民の国では、アメリカ神話は、とくに重要だった。出自の違う人々全員が共通して持っていたのは、それだけだったからだ。
一七九〇年代や一八〇〇年代前半、政治が少数のエリート、つまり白人の資産家によって支配され、一般大衆には選挙権がなかった時代にも、神話の力は強かった。要するに、いかなるときにも、大衆は神話を好むのだ。
建国の父たちも、神話の魅力に気が付いていた。ただし、おそらく、つむじ曲がりのジョン・アダムズ(第二代大統領)は除かれる。人々の陽気な神話づくりは、あまりにも荒唐無稽、と一蹴している(彼の貢献が、過小評価されていたから機嫌が悪いという説もある)。
一八三〇年代、財産がなくても、民衆も投票できるようになった。このとき、間違いなく、神話こそが、政治を推し進める力となった。
それ以前は、政治家は人々の前で争点を、詳しく、高度な内容の話題も取り上げながら論じたものだったが、このときから、神話に訴えることが多くなっていく。とりわけ近代、神話は非常に重要だった。というのも、さまざまな情報が錯綜し、迷いそうになった有権者にとっては、神話は、道標だったからだ。
この本で取り扱っている、政治に関する問題点の多くは、「一部の人間ではなく、大衆が、直接、選挙に参加すること」から派生する。
大衆を、広範に及ぶ真剣な討論に引き込むのは難しいとして、政治家は、虚像、スローガン、歌、灯火パレード、美辞麗句の雨あられなどを活用するようになった。
人を注目させ、感心させるため、球状に固めた大きなチーズを、ホワイトハウスに向けて転がして歩いた超党派のグループさえいた。
だが、何よりも政治家が活用したのは、神話だ。
いかにもアメリカ的な仕掛けをほどこせば、有権者の耳には、音楽のように美しい響きとなって届く。