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彼女たちの売春(ワリキリ)
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ルポ・エッセイ
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プロローグ

『彼女たちの売春(ワリキリ)』
[著]荻上チキ [発行]扶桑社


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 平日の真っ昼間にもかかわらず騒々しい居酒屋の二人席で、僕の目の前に座っている女性は、しきりに怯え、終始うつむいていた。彼女のケータイは数分置きに振動し、メールと電話の着信を知らせ続ける。点滅する画面には、いつも同じ男の名前が表示されていた。ケータイが鳴りやむまで、彼女は体を震わせ、顔をこわばらせ、目を泳がせ、拳を固く握り続けている。
「また、例の彼氏?」

 そう尋ねると、彼女は涙目のまま頷く。着信の主は、5日前につきあいだし、同棲しだしたという「彼氏」だそうだ。だが、その着信量は異常である。電話と交互に届くメールを、彼女はその都度、無言で僕に差し出す。メールの文面はどれも短く、内容は非常に簡潔だ。
「なんで電話でないんだよ、ふざけんな」
「今日バイト? 聞いてねーし」
「電話でろよ」
「でろよ」
「でろ」
「でろ」
「でろ」


 彼女と出会ったのは、小雨がじわりと肩口を湿らす、灰色の昼下がり。2011年6月某日、とある地方都市の出会い喫茶だった。取材中にメモした彼女のプロフィール欄には、「名前:あず」「25歳」「一回10000円」「高卒」「結婚歴あり・離婚準備中」「DV経験あり」「性病経験あり」「精神疾患あり」「他の仕事なし」「風俗経験なし」というデータが並んでいる。

 彼女は子どもの頃から、親からの理不尽な罵倒と暴力を浴びせ続けられて育った。高校を卒業してすぐに家出をし、放浪中に出会ったひとりの男と結婚をしたが、夫となったその男もまた、激しい暴力を振るうようになった。そんな生活にも耐えられなくなった彼女は、再び家を飛び出すことになる。わずかなお金をもとに漫画喫茶(マンキツ)で暮らし、街をさまようなかで見つけたのが、出会い喫茶(デカフェ)だった。

 出会い喫茶の店員から、彼女は「ワリキリ」という言葉を教わる。お金だけで割り切った、大人の関係。カジュアルな言い回しを装ってはいるが、ようは売春行為(ウリ)のことだ。

 セックスをすれば、まとまった額のお金になる。お金に困った女の子で、ワリキリに手を出す子は多い。君なら、そこそこ稼げるようになるはずだ――。そう聞かされた彼女は、その日からワリキリを始めることにした。

 緊張と不安感を押し殺し、喫茶で相手方となる男性をつかまえ、ただ淡々とセックスをし、お金をもらう。彼女にとってそれは、とても簡単で、とても不快な「作業」だった。初めてのワリキリを終えた彼女は、大きくため息をつき、手にしたお金をそそくさと財布の中にねじ込んだ。そして漫画喫茶に帰るのではなく、その足でまた、出会い喫茶へと戻っていった。すぐにでも次の客をつかまえるために。

 それから4か月間、あずは漫画喫茶と出会い喫茶を往復する日々を続けた。彼女の売春価格は、セックス一回1万円。この価格は、地域相場と比べても、格段に安い部類に入る。彼女は決して見た目が一般の女性よりも劣るというわけでもなく、どちらかといえばコケティッシュなほうだと思う。だが、彼女はそもそも、「相場」を知る機会がなかった。彼女が利用していた出会い喫茶が、極端に利用者が少ない店舗だったため、女性同士が交流する機会がなかったことも理由のひとつではある。

 そんな日が続いたある日、例の問題彼氏と出会い、意気投合して男の家に転がり込むことになった。問題彼氏は、その出会い喫茶の関係者だった。久しぶりの「住居」を手に入れた彼女はおおいに喜んだ。しかし、一緒に暮らし始めてまもなく、束縛がひどく、粗暴な性格だと気づいた。今は言葉の暴力にとどまっているが、このままだと、また殴られるようにもなるだろう。あずがこれまでつきあってきた男性は、もれなく全員、暴力を振るう男ばかり。もう、殴られるのはこりごりだった。

 とはいえ、彼氏との別れは、再び漫画喫茶と出会い喫茶との往復生活に戻ることを意味する。住み込みの働き口を探そうにも、彼女が患っている精神疾患が、長時間の労働を困難にするハンディキャップとなる。新しい男を見つけても、再び「ハズレ」を引くかもしれない。もちろん、実家になど、帰れるわけがない。「どうしたらいいのか、わからない」。彼女は大きなため息をついた。


 あずの話は、現代では実にありふれた物語のひとつだ。日本には今、「ワリキリ」と呼ばれる、フリーの売春活動を行っている女性が山ほどいる。この本には、そんな女性たちによる膨大な証言が記録されている。

 ワリキリは、風俗店での性サービスの提供とは別物だ。飛田新地、売春島(三重県渡鹿野島)、各地の「ちょんの間」といった裏風俗でもないし、繁華街や路地裏をうろつく立ちんぼとも違う。ワリキリは、主に出会い系サイト、出会い喫茶、テレクラなどの出会い系メディアを活用して客をつかまえ、個人で自由売春を行うことを指す言葉だ。「裏デリ」と呼ばれる、出会い系サイトを活用して、チームでワリキリを行うケースもあれば、同様のことを18歳以下の年少者グループで行う「援デリ」というケースもあるが、本書で取り上げるのはあくまで個人型のワリキリだ。

 かつては、売春をライトに言い換えた「援助交際(エンコー)」や「サポ(ート)」という言葉があった。これまで「円光」「無道」「¥」「助けてくれる人」「意味わかる人」など、さまざまな隠語に言い換えられもしたが、2000年代に入ってからは、「ワリキリ」という言葉が定着していった。援助交際が、「援助してもらって交際する」の字のごとく、セックス抜きのデートなどをも含んでいたのに対し、ワリキリは「お金で割り切った体の関係」という語源が意味するように、主に本番行為を前提とした呼び方になっている。逆に、ご飯だけ・お茶だけ・お酒だけで外出することは、「茶飯(ちゃめし)」と呼ばれ、区別されている。


 長引く経済停滞のさなかにあって、僕たちの社会は改めて「貧困」というテーマと向き合わされている。また、これまでの社会で「なかったことにされてきた不幸」が、徐々に再発見されるようにもなってきている。だが、まだまだ光が当てられていない、発掘されるべき論点というのは山のようにある。

 根深く存在し続けてきたはずの「女性の貧困」問題は、その最たるもののひとつだ。テレビで「年越し派遣村」や「ネットカフェ難民」が映し出されるとき、そこではたいてい、「貧乏になってしまった男性の物語」が語られていた。もともと、非正規の労働者は女性のほうが多く、平均所得の男女格差も大きく開いたままだという事実を忘れたかのように。

 売春は、女性が当事者となる社会問題のなかでも、最も古典的かつ普遍的なもののひとつだ。お金が必要な女性が、相対的にお金を持っている男性を相手に、セックスを提供し、対価を得る。売春はリスクが高い行動ではあるが、ほかに仕事がない女性、あるいはほかの仕事よりも高い報酬に惹かれる女性、さらにはそうするように強いられた女性などが従事することが多い。それは、現代の日本とて同じことだ。

 ただ、僕がこうした話をすると、とぼけた表情を浮かべる者も多い。今の日本にそんな話があるのか? あったとしてもそれのどこが問題なのか? そんな反応を、僕は何度も受けてきた。どうやら、「貧しい国で、売春をせざるを得ない女性がいる」という話をすると同情を示してみせるけれど、「この国で、売春をしている女性がいる」というと、途端に「道徳」や「気持ち」の問題として捉え、憤りをみせる者というのは、決して少なくないようだ。

 もちろん、女性差別というものが、とっくに過去のものになったという認識の人さえいるのだから、そうした反応も致し方のないことなのかもしれない。だが、彼女たちは現に存在する。

 それにしても不思議なことではある。「過去の日本には、吉原などに身売りされる女性というのが後を絶たなかった」といった話をすると、たいていの人は「ひどい時代だったよね」とコメントする。しかし、現代の売春に多くの人が抱いているイメージは、おそらく「過去の日本」のそれとは大きく異なるようなのだ。

 そのイメージを一言で言うならば、「もう、ひどい時代ではない」ということになるのだろう。かつての日本や後進国での売春は、「そうせざるを得ない環境があった」がゆえに同情されるべきだが、今の日本はすでに豊かな先進国のはずなのだから、それでも困難な状況に置かれているという者は、どこかで甘えているような例外的な人物、となるわけだ。

 困っている人が数多く存在することがわかれば、僕たちは「個人問題を社会問題化」する必要がある。複数の当事者がいて、似たような問題にぶつかっているのであれば、それを再生産する仕組みがどこかにあるのだろうから、個人の問題として切り捨てるのではなく、何かしらの対処策と、困難と向き合っている人への処方箋を用意しなくてはならない。

 だがその際、僕たちは常に逆向きの力も同時に経験する。それは、「社会問題を個人問題化」しようとする力だ。そんなのは社会問題ではない、あくまで個人の失敗事例にすぎないと、解決のための議論に水を差すような言葉の数々だ。

 売春という問題は、しばしばこうした力を味わってきた。どのような事情が彼女たちの背景にあろうと、共感や同情の対象ではなく、蔑みと攻撃の対象にされてきた。実は、「もう、ひどい時代ではない」という言い回しは、現代に限らず、これまで何度も歴史的に繰り返されてきた言い回しであり、それ自体は珍しくも何ともない。

 売春はいつも、個人の心の問題などに還元されてきた。政治や社会の問題として語られるときは、包摂ではなく排除の対象として、セーフティネットではなくスティグマ(烙印)が必要な対象として、生命や人権の問題としてではなく風紀や道徳の問題として、売春は受け止められ続けてきた。これらはすべて、とても凡庸で退屈な、無慈悲さに無自覚なクリシェ(常套句)である。


 僕はこれまでの数年間、現代の日本でワリキリを行っている女性を取材し続けてきた。複数の出会い系サイトを活用し、全国の出会い喫茶やテレクラを訪れ、100人を超えるワリキリ女性にインタビューを行った。全国規模の価格調査を毎年行い、3000人分以上のデータをまとめ、地域ごとの事情も調査してきた。

 取材の過程で多くの当事者と知り合い、ワリキリを続ける日々を日記に書いてもらったり、家計簿をつけてもらったり、100人を超える買春男性のデータを記録してもらった。出会い系サイトを運営する「中の人」複数にも話を聞き、ときには利用者数などの詳細なデータを教えてもらった。出会い喫茶の創設者に話を聞き、店員や利用男性にも聞き取りを行ってきた。東日本大震災で被災した地域にも足を運び、ワリキリを続ける被災女性の話を集めてきた。

 カメラやスマートフォン、パソコンの中には、取材の過程で撮影した写真データが大量に入っている。リストカット、アームカット、レッグカットの痕からDVの痕、彫りかけのタトゥー、お薬手帳や大量の精神薬の袋、手帳のメモ書き、男性や店員と交わしたメールの履歴など。それらの画像、一枚一枚が、どういう現実が存在するのかを雄弁に物語っている。

 ケータイには、出会い系を利用する多くの男女の連絡先と、彼(女)らと交わしたメールの数々。財布の中には、日本全国の出会い喫茶の会員証。質的にも量的にも、これほどまでにデータを集めた人はそういないはずだ。本書には、それらの取材成果を、ふんだんに盛り込んでいる。

 ワリキリという売春形態は、現代の日本社会がいかなる状態にあるのかをあぶり出す。売春の内実は多様であり、ひとくくりにできるものではないけれど、ある傾向が見いだせることもまた事実だ。つまり、いくつかのリスク要因が、彼女たちの行動に大きな影響を与えている、ということだ。

 この社会はとても脆弱なもので、いかにも頼りない。だからこそ彼女たちは、生き延びるための手段として、ワリキリを選択した。彼女たちの人生には、とても複雑な物語がある。ただ、物語は一人ひとり異なるけれど、その展開などは似通っている部分も非常に多い。

 彼女たちがなぜワリキリを続けるのか。その理由に耳を傾けることは、すなわちこの社会がどのような状態にあるのかを明らかにする作業でもある。彼女たちの営みは、あなたが生活しているこの世界のすべてと地続きにある。その事実を今から、あなたと共有していこうと思う。
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