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八重の虹〜新島八重と羽ばたく幕末明治の女性たち
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歴史
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幕末の会津藩とは何だったのか

『八重の虹〜新島八重と羽ばたく幕末明治の女性たち』
[著]加来耕三 [発行]扶桑社


読了目安時間:3分
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 二十代の頃からそうなのだが、筆者の中で、東北――とりわけ会津地方と自分との距離感が、どうにもうまく掴めない。

 どの程度に距離を保てば、“会津”が正しくみえるものなのか、焦点がボケずにすむものなのか、幾度か現地にも行ってはみたが、それでもなお理解できずにいる。

 筆者は大阪の陋巷(ろうこう)で生まれ育ち、「平成」の世になって東京の場末へ移り住むまで、京都・奈良・滋賀など畿内を彷徨(うろつ)いていた。そのためであろう、自分が“上方”の、素行の濃い人間であることは否応(いやおう)なしに認めざるを得ない。

 ときに自己嫌悪の源にもなるのだが、その“上方”の感覚から会津を凝視しようとすると、地理上・社会的風土のもたらす結果か、“悲劇”“惨禍(さんか)”という暗い面ばかりが無用なほどに目について、明るい爽快(そうかい)さといったものが、歴史的にはまったく感じ取れない。

 たとえば、幕末史の中に卒然と登場した会津藩は、もっぱら悲劇的な存在として語られつづけてきた。白虎隊の集団自決、会津鶴ヶ城(若松城)の籠城戦・落城といった、この藩の幕末戊辰戦争――なかでも会津戦争――でのエピソードは、ことごとくが悲劇性を帯びている。

 その理由(わけ)は、会津藩士とその家族にとって、会津戦争が自分たちの国=会津藩を守るべき防衛戦争であったから、悲劇的な印象を強めたのであろう。

 会津戦争では、藩士のみならずその家族、老人も少年も女性までもが戦いに参加し、戦火の中で次々と犠牲になっていった。

 本書第二章に登場する、山本八重(新島八重)、会津出身者として明治女性史にその足跡を残した山川捨松(のち大山捨松)、瓜生(うりゅう)岩子などの女性たちも、ある者は前線に、ある者は後方で、ある者は戦災者を救うため、さまざまな立場でこの戦争に関わった。

 だが、戦後の「明治」において、会津藩士とその家族ほど、苦難の道を歩まされた人々もいなかったはずだ。にもかかわらず、彼らは自らの言い分を口にすることなく、多くが何も語らずにこの世を去っていった。その胸中は、いかばかりであったろうか。

 しかし、凄まじいまでの戦争体験に身を(さら)した人々は、終生そのことを忘れることはなかった。否、忘れたくとも忘れられず、その生涯の方向性をも決定づけた、といっても過言ではあるまい。幕末という時代、そして戊辰戦争は、体験者すべての人生を大きく変えた。

 新島八重は二度目の夫(新島襄)の死後、自ら看護婦を志願し、日清・日露の両役には広島、大阪まで従軍している。山川捨松も留学先のアメリカで、看護婦の勉強をしていた。

 二人だけではない。彼女たちの兄弟、家族、周囲に、会津戦争がその後の人生の巨大な重し、命題となった人は少なくない。会津戦争とは、そもそもどのような戦いであったのだろうか。なぜ、会津藩だけが悲惨な戦争の、負の遺産を背負わされつづけたのか。それにいたる幕末の政局とは、いったいどのようなものであったのか。レンズを俯瞰(ふかん)に替え、客観的に距離感覚を歴史史料の中に掴み直してみたいと思う。

 会津藩とはどのような藩だったのか――この命題が解ければ、そこに生きた人々の生き方も、かならずや理解できるに違いない。

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