閏四月十九日、世良は同じ参謀で秋田にいた大山格之助に宛てて、密書をしたためた。
この密書には、米沢と仙台の会津救済を陰謀と決めつけ、このうえは、「奥羽皆敵ト見テ逆撃之大策」に踏み切らねばならない、という決意が述べられていた。
密書の使いには、福島藩の足軽・鈴木六太郎が任じられたが、この大切な密書は、仙台藩士・瀬上主膳、姉歯武之進らの手に渡ってしまう。彼らは奥羽鎮撫総督府によって、奥州の大藩としてのプライドを日々傷つけられており、世良の暴慢さに我慢できなくなっていた。
そして、この密書の激越な内容が、彼らの背中を激しく押すこととなる。