この梶原の手足となって、長崎、兵庫、京都、江戸に神出鬼没の活躍をした人物に、山本覚馬がいた。本書第二章の主役、山本八重の実兄である。
山本家は三代藩主・松平正容のおりに、側用人支配として取り立てられた、山本佐平(良永)という人が家祖で、その父・山本道珍(良次)は百五十万石取りの茶道頭として、保科正之に仕えていた。佐平は別に、分家を立てたようだ(『諸士系譜』)。
その後、会津藩砲術師範を代々つとめるようになった山本家(上士黒紐席)に、文政十一年(一八二八)正月十一日に生まれたのが覚馬であった。
若い頃は、頭を総髪の大束髪とし、月代を剃らずに折り目のない袴を履き、木綿のぶっさき羽織を着て、腰には大刀造りの剣を帯び、手には鉄扇をもって、道を闊歩していたという。