すでに見た奥羽越列藩同盟の、成立の前日――五月二日、長岡藩家老の河井継之助は、越後総督府の軍監・岩村精一郎(高俊・土佐藩陪臣)と会談に臨んでいる。
局外中立を申し入れた河井だったが、岩村には容れられず、ついに長岡藩は奥羽列藩同盟と歩調を合わせ、新政府軍と戦うことになる。
問題はその前である。河井は会津藩首席家老・梶原平馬と会っていた。新潟までの船の上で。
そして彼の、「北部連邦政府」構想を聞いていたはずだ。すでに、局外中立を拒絶された場合の、次善の策はできていたかと思われる。
五月四日、新発田・村上・黒川・三根山の北越諸藩を誘って、河井は列藩同盟に加盟。