七月に入ると、仙台にとどまっていた九条道孝が、ふいに秋田藩(久保田・二十万石)領に入り、副総督の澤為量と合流する。
このとき、秋田藩は藩の去就について意見が定まらず、藩内は大いに揺れていた。
藩校明徳館に奥羽総督府の本営が置かれていたが、藩の周辺はことごとく奥羽越列藩同盟側の藩である。秋田藩には、新政府のために、これらを一身に引き受けて戦う肚など端からなかった。だからといって、奥羽総督府首脳=三卿(九条・澤・醍醐)を捕えて、新政府と完全に敵対する度胸も力もない。
そこへ仙台藩の使者・志茂又左衛門らがやって来て、三卿を奪い、薩長兵を皆殺しにするように、と秋田藩へ圧力をかけてきた。