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八重の虹〜新島八重と羽ばたく幕末明治の女性たち
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歴史
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すべては籠城戦からはじまった

『八重の虹〜新島八重と羽ばたく幕末明治の女性たち』
[著]加来耕三 [発行]扶桑社


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 会津戦争がはじまるまで、山本八重は歴史の表舞台に立つこともなければ、その名も後世に残るような存在ではなかった。

 いわば、多数いたであろう会津藩子女の、一人にすぎなかったといえる。

 その彼女が、その生涯における前期のハイライトとして、華々しく歴史の舞台に登場するのは、慶応四年(一八六八)八月二十三日に開始され、九月二十二日までつづいた、会津鶴ヶ城の籠城戦においてであった。


 奥羽第一の激戦にして、会津藩士の戦死せるもの実に四百六十余名、(その)他市民の死せるもの少なからず。此他藩士の難に殉せるもの約二百三十余名の多きに達し、惨憺(さんたん)たる凄愴(せいそう)の状、聞くものをして其壮烈に泣かしむるものあり。(平石弁蔵著『会津戊辰戦争』)


 第一章でもふれた如く、新政府軍の来襲を告げる、入城をうながす鐘が、城下に鳴り響いたのは、現在の午前七時頃のことであった。

 八重は夫・川崎尚之助、母・佐久、兄嫁のうら、姪のみねらとともに入城すべく鶴ヶ城へ急いだ。

 突然の新政府軍の城下乱入に、鶴ヶ城は激しく応戦している。

 双方の距離一丁か二丁という近さで、必死の攻防戦を展開。戦いは夜の七、八時までつづき、夜襲を警戒した新政府軍が兵を引いたのは、ようやく夜半になってからのこと。彼らの炊事がはじまったのは、夜中の十二時頃であったという。

 この日、藩の正規軍は四方へ出払っており、城下の人々が一丸となって、百八十人の敵死傷者を出して城を守ったのは、大金星といってよい。

 もし、市街戦が事前に想定され、その準備が周到に用意されていたならば、戦局はここで大いに方向をかえた可能性は高かった。が、会津藩にはその備えがなかった。

 この日=八月二十三日の会津鶴ヶ城は、老兵と婦女子、急造の農兵などが大半で、しかも守備人数の極めて少ない、非常に危険な状況であったことはすでに述べた。攻城方、守城方、共に火力戦で戦ったことも、第一章で述べた通りである。

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