先発組に首都圏を“占拠”されたため、「横浜」へ入れなかったアメリカン=ボードは、やむなく方針を転換。関西への、新規開拓を企てることになった。
めざすは開港地の神戸と、居留地として認められていた大坂(川口周辺)。神戸港の開港は、京都をひかえているためなかなか実現せず、ようやく開港に漕ぎつけたのは慶応三年(一八六七)十二月のことであった。
しかし、この翌年には、鳥羽・伏見の戦いを発端に戊辰戦争が展開され、九月には和暦は“明治”に改元された。グリーン夫妻が来日したのは、明治二年(一八六九)のことであった。
以来、伝道の遅れをとりかえすべく、次々と宣教師がアメリカン=ボードから送り込まれ、ついには神戸が「母なる拠点」(The mother station)となる。