未亡人となった八重は、その後、同志社と距離を置きながら、生きがいを別の道に求めた。
明治二十三年(一八九〇)四月、日本赤十字社に加盟。篤志看護婦人会にも名を連ねて、社会奉仕事業に後半生をかける決意をする。新島の看護、その前の会津籠城戦の体験が、その心の底にあったのであろう。
二年後の三月、兄の覚馬も同志社の臨時総長を辞任。ほっとしたように、その年の十二月二十八日、この世を去った。享年六十五であったという。
明治二十七年の日清戦争に、八重は、広島陸軍予備病院に赴き、四ヵ月間、篤志看護婦として従軍している。