結局、説得工作はうまくいかなかった。
将軍継承問題は、反対派(南紀派)が大老・井伊直弼を擁して勝利し、十四代将軍に紀州藩主の徳川慶福(将軍となって家茂)を決定する。斉彬はそれでもあきらめず、藩兵三千を率いての武装上洛を企てるが、直前、急死してしまった(享年五十)。
――世の中はいつしか、尊皇・攘夷、開国・鎖国で大混乱となっていた。
この幕末の沸点を迎えた時期に、天璋院はその嫁=皇女「和宮」(十四代将軍家茂の御台所)との確執にも悩まされながら、大奥を采配しつづけている。
すると、今度は肝心の家茂が二十一歳で急逝。