――この捨松が、異郷の地で恋をしたという挿話があった。
相手はアメリカ人ではない、日本人である。名を、長沢鼎といった。
のちにその使用人は三百人を超え、資産およそ二千万ドル(当時の一万ドルは、現在の二千五百万円相当)の大富豪となって「カリフォルニアのブドウ王」と呼ばれるようになる人物で、それでいて彼は、生涯、独身を通した。鼎の本名は、磯永彦輔といった。
彼は嘉永五年(一八五二)に、薩摩藩の天文方の学者の家に生まれている。
幕末、“夷狄”を侮って、“攘夷”を唱えた薩摩藩は、文久二年(一八六二)八月に、イギリス人が島津久光の行列の前を騎馬で横切ったさい、その当事者=チャールズ・リチャードソンを斬殺。