――日本からの移民は、このブームとは無縁であった。
だが、移住の時期を考えると、会津武士はまだ謹慎している途次にあたり、会津戦争を戦った人々がこのコロニーに、いきなり参加していたとは考えにくい。
阿達義雄氏の「加州で見た会津藩旗」(『日本及日本人』)によれば、確実に旧藩士で参加していたのは、「西川友喜」という人物だけであったという。
おそらくシュネルは、会津藩再興の可能性をさぐりつつ、会津藩民の生糸、茶の栽培にたずさわる者を語らって、その先陣を切るべく、受け入れ態勢を整えてから、会津武士をこの新天地に呼ぼうとしたのではあるまいか。もしそうなら、彼はどこまでも忠義の“士”であったといえよう。