教育は国家百年の計。この言い古された言葉を、今私たちはかみ締めています。
2011年3月11日、日本は千年に一度という大地震に襲われ、最悪級の原発事故に見舞われました。それから1年が経ち、生活は日常に戻ろうとしていますが、復興への道のりははるか遠いと言わざるを得ません。様々な経済指標はわが国の先行きの厳しさを示し、国際的な風評被害は日本製品のブランド価値を傷つけました。これからの日本はどうなってしまうのだろう、多くの人がその不安を抱きながら生活しています。
それでも、日本という国は無くならないし、日本人は生き続けていきます。だったら逞しく蘇り、再び世界から憧れられる日本を取り戻したい。東日本大震災が起きる直前まで、クール・ジャパンは世界の憧れでした。今でも、日本は世界から愛されています。日本が国難に陥ったとき、世界の人々が見せてくれた態度でそのことを改めて感じた人も多かったのではないでしょうか。
日本が復興するために必要なもの。それは一にも二にも「人材」です。でも、その人材に陰りが見え始めています。世界の中で圧倒的に優位にあった学力はもはや並になり、日本の弱点であるエリート層も相変わらず頼りになりません。だから、教育なのです。経済政策と違って効果が出るのに時間はかかるでしょうが、これから何年、何十年という遠い道のりだからこそ、この震災を機に日本の教育を一から立て直す必要があると私は思っています。
日本を復興できる人材をどのようにして育てていくのか。本書は、この大問題に真正面から取り組みました。議論の守備範囲は自分でもあきれるほど広いものになっています。「ゆとり教育」や新学力観の分析に始まり、旧制中学の入試問題、諸外国や戦前・戦後の学校体系、松下村塾生の出身階級、フィンランド教育の紹介、小学校のお受験問題、ホッブズ・ロックの人権論やオルテガのエリート論、果ては新左翼の革命理論まで。論点は縦横無尽に敷き詰められています。
「脱ゆとり教育」「いじめ問題への対応」「自虐史観からの脱却」「英語を使える日本人の育成」等々どれも重要な問題ですが、これらを一気に俯瞰して論じなければ、日本の教育全体をどうするかという大問題は見えてきません。本書は、それを考えようという人たちに議論の土台にしていただくために書いたものです。
私の本職は地方自治体の行政マンです。地方自治体の行政マンには専門がありません。辞令一本で今日は病院、明日は学校、明後日は本庁で働くのが仕事です。よく言えばジェネラリストですが、要は「何でも屋」です。そのために、着任したらすぐにその分野の勉強をして、判らないことは専門家に教えを請うという姿勢が身につきました。教育関係の本を書きだしたのも、それまで付き合ってきた他分野の専門家と比較したときの「教育の専門家」たちのインチキ臭さ、現実を見ない空疎な議論に我慢ならなかったからです。
「何でも屋」のお陰でこれまで出版した書物は、早期教育、偏差値、授業改善、いじめ問題、日教組等々多岐にわたってきました。
そして気づいたのは、どの分野にも共通の敵が存在したことです。
一部の人たちから奇異な目で見られる小学校受験界の方が、幼稚園や保育園よりよっぽどまともな就学前教育が行われていることを突き止めたとき。
偏差値は客観的に学力を見るために有効な指標であり、偏差値排除は愚策だという結論に達したとき。
学校では、新学力観という名の下に誰のためにもならない授業が行われ、優等生は塾の疲れを癒やし、劣等生はボーっとしていることを明らかにしたとき。
いじめ問題で異常なまでに加害者の人権が擁護されていると主張したとき。
自分では当然だと思う主張が、なぜか教育言論の世界では異端扱いを受けてしまう。そのとき必ず見え隠れしたのが、この国の教育界を牛耳ってきた共産主義者の影と、不勉強ゆえに彼らの正体をつかめず、彼らの言動を信じ、それに翻弄され続けてきた大多数の日本人でした。
しかし、2012年、未曾有の国難を前にし、共産主義者の悪影響を最も強く受けてきた地域である大阪から教育界が変ろうとしています。橋下徹氏率いる大阪維新の会が目指す教育改革は、この国の教育が立ち直れるか否かの試金石となるでしょう。
だからこそ、日本人を無能にし、日本の国力を削ごうとする共産主義者たちはなりふり構わず教育改革を阻止しようとしたのです。共産党が自民党や民主党と野合して大阪市長選挙に臨み、教育委員たちが選挙直前に橋下市長の対立候補への投票を呼びかける。このような異常行動は、大阪維新の会が目指す教育改革がどれほど画期的であるかを逆説的に示しています。
そこで、最終章では教育制度を改める上でもっとも大きな障害となる共産主義者の心理構造を彼らの革命思想から説き起こしました。
日本復興のためには瓦礫は取り除かなければなりません。菅直人前首相は、復興を阻害する最大の瓦礫と呼ばれましたが、彼など教育界に巣食う共産主義者に比べれば、何ほどでもありません。
本書を読み終えたときに、教育の正常化を願う気持ちを皆様と共有できたとしたら、それが私にとって最大の喜びです。