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嘘だらけの日中近現代史
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歴史
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第四節 決着としての日清戦争

『嘘だらけの日中近現代史』
[著]倉山満 [発行]扶桑社


読了目安時間:11分
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 今までのところの話しですが、東アジアに二つの大国が存在したことはありません。日中は並び立たないのです。前近代のほとんどの時期、日本は外国と没交渉に等しい状態でした。裏を返せば、ユーラシア大陸の騒々しさとは無縁に暮らしてきたと言えます。

 ところが、西洋列強の接近により事情が大きく変わります。日本は近代化し、西洋と対峙します。清国は眠り続け、列強に侵食されていきます。だからこそと言うべきでしょう、弱っていく清国は格下扱いしてきた朝鮮への所有欲を「これだけは俺のものだ!」と死にゆく老人の妄執のごとく強めていきます。

 朝鮮半島の安定化なくして日本の安全保障なし。かくして日清両国はぶつかります。

[通説]

 日清戦争以降の日本は、十年に一度戦争を行う軍国主義国家となった。確かに近代化を果たしたが、それは「内に立憲主義、外に帝国主義」と呼ぶしかなく、アジア侵略の道を歩む。


 日本の歴史学者は、しばしば国際法で定義された用語を無視します。国語辞書をひいただけで「侵略」を「他人の土地に勝手に入り、奪うこと」のような粗雑極まりない言葉の使い方をするのです。

 前近代ではいいでしょう。今川氏が松平氏にしたことや、薩摩が琉球に行ったことを「侵略」と称してもあまり深い意味はありません。そもそも、当時の人で今川氏や薩摩を「侵略だ」と道徳的に非難した人などいません。
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