はじめに過去の私の話をさせていただきますね。かつての私は毎年、お盆を過ぎる頃から落ち着かなくなっていました。もうすぐ、誕生日。9月に入り、真っ先に届くのは量販店からのバースデー割引のダイレクトメール。もう、何年も男性から祝ってもらったことがない。ちょっとしたプレゼントをくれる同僚もいたし、バースデーメールもたくさん届くけれど、強烈な孤独感に潰される日。仕事をしていたり、遊んでいる時は忘れている「私を愛する人なんていないかもしれない」という思いが、抑えられなくなる……。
私はみんなとほぼ同じように生きてきたつもりでした。みんなと同じように学校を卒業し、みんなと同じように就職し、これからみんなと同じように恋をして結婚するものだと。
他の人よりも、少し大雑把で、少しオシャレに疎くて、少し男性に不慣れで、少し人見知りというだけで、どうしてこんなに寂しくてツラい思いをしなければならないのだろう、と思っていたわ。
「何で私ばっかり!」
「幸せそうな女性が羨ましい」
「キレイで愛されている女性が羨ましい」
あの頃の私の目には、世の中は不公平に見えていました。幸せそうな親子やカップルは自分と別の人種で、ものすごく自分が恵まれていないように感じていました。
また、気になっていた男性が、彼氏と別れたばっかりのかわいい女の子とくっついたことがありました。常に私の彼氏ってポジションは空席なのに……。
もしかしたら、通勤途中で出会いがあるかもしれないと思い、きちんとメイクをして出勤してみたこともあります。
「今日は、ちゃんとお化粧してどうしたの? 合コン?」
なんて職場で言われてしまったりして。
でも、誕生日が過ぎるとまた、いつもの干物女に戻り、クリスマス前にメンタルが不安定になるという非モテ生活を何年も繰り返してたの。
そのうち彼氏できたらいいなぁと思いながら、ダラダラしているうちに何年も経ってしまったんです。いつか、出会いがあるだろうと思っていたら、携帯に入っている男性のデータは、父と既婚上司だけ……。
「そのうち」「いつか」という日は来ないんですね。
子どもの時に思っていた20代後半の女性は、オシャレな服を着て、ちゃんとお化粧をして、いかにも女性らしい人だと思っていました。子ども時代は、地味だったけれど、毛虫だって蝶になるし、アヒルの子も白鳥になるんだから、私だってキレイになるんだろう……と。
高校を卒業しても、大学を卒業しても、社会人になっても常に地味で、恰好は楽ちんカジュアル。服を買う店もほぼ同じ。
振り返ると、私はものすごくイタい女で、誕生日やクリスマス前や知人の結婚報告直後に、猛烈な寂しいという気持ちにおそわれ、ツラい日が続くのですが、そんな日々を「がんばっている」と勘違いしていました。
ところが、「傷ついている」「寂しい」「自信がない」とか言いながら、全く問題に向き合っていなかったの。たまに、恋愛実用本は読んでましたよ。雑誌で特集するモテコーデをマネしてみたことだってありました(恥)。
そんなことで、ちょっとやった気にはなるけれども継続はしていないし、結果を出すように行動してはいなかった。会社は女性が多いし、たまに呼んでもらえる合コンにもいい男がいなかった。
「出会いがない」「いい男がいない」「仕事が忙しい」と環境のせいにしちゃってました。
優しい友達の多くは
「大丈夫だよ~。あんまりガツガツしないほうが自然に出会えるよ」
などと具体性のないアドバイスをくれたなぁ。
こうして、自分が自分を非モテにしているという現状から目を反らしていたのでした。浅はかながら、目を反らすことで、「私がダメなわけじゃない」というプライドを守っていたの。
もうこのままだと、一生一人だと先が見えた時に、私はようやく厳しい現実を受け入れたのです。それが29歳の誕生日の目前。
厳しい現実とは、問題があるのは環境じゃなくて、私の人格なんだってことです。何年も彼氏ができないのは、出会いがないんじゃなくて市場価値がないってことです。
現実を受け入れて、問題に向き合ってから気が付いたことがあるの。環境や他人を変えることはできないけれど自分を変えることはできる。
男性を操る恋愛ノウハウはあるようだけれど、結局他人を変えるなんて無理で、変えられるのは自分と未来だけだって気が付いたの。