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映画の神さまありがとう〜テレビ局映画開拓史〜
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ルポ・エッセイ
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『映画の神さまありがとう〜テレビ局映画開拓史〜』
[著]角谷優 [発行]扶桑社


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 ぼくは映画が大好きだ。

 ものごころついてから記憶に残っているのは、5歳か6歳のころ兄に連れられて新宿・成子映画で見た「燃ゆる大空」「加藤隼戦闘隊」などの国威発揚映画(これらに刺激されて兄は16歳で少年航空兵に志願し、傷痍軍人になって帰ってきた)や、「桃太郎の海鷲」「フクチャンの潜水艦」などのマンガ映画だった。そして戦争が終わり、こちらもそれなりに多感な少年に成長して、洋画の世界にどっぷり浸かるようになるのは、中学生になってからのことだろうか。
「誰がために鐘は鳴る」で短髪にさせられたバーグマンに胸ときめかせ、「カサブランカ」でその美しさにしびれ、「自転車泥棒」「靴みがき」「ミラノの奇蹟」のイタリアン・ネオレアリズモに共感を覚え、「禁じられた遊び」に泣き、ワイズミュラーのターザンやジョン・ウェインの西部劇に手に汗をにぎった。「陽のあたる場所」「シェーン」「第十七捕虜収容所」など、このころのパラマウント映画は全盛で、スクリーンにあのトレードマークが出てくるだけで胸が高鳴った。

 高校生になってから最もこころ惹かれたのは、なんといっても「ローマの休日」だ。オードリー・ヘップバーンの純真でノーブルな可愛さと、映画ファンを魅了するワイラーの映画マジックにすっかり虜になってしまって、何回繰り返して見に行ったことか。優雅な美しさのグレイス・ケリーが主演した「泥棒成金」はじめ、「裏窓」「北北西に進路を取れ」などヒッチコック映画も面白かった。デュビビエの「陽気なドン・カミロ」「アンリエットの巴里祭」、ルネ・クレールの「夜ごとの美女」やジェラール・フィリップの「花咲ける騎士道」のように理屈ぬきで楽しいものもあれば、フランソワーズ・アルヌールの「上級生の寝室」「肉体の怒り」「過去を持つ愛情」「ヘッドライト」など、そのコケティッシュな魅力に溺れたものもある。クルーゾーの「恐怖の報酬」、ジャック・ベッケルの「現金に手を出すな」、ジュールス・ダッシンの「男の争い」のようなハードなものも含め、フランス映画は文化の匂いがした。
「雨に唄えば」「バンド・ワゴン」「虹を掴む男」「ショーほど素敵な商売はない」などのミュージカルはひたすら楽しかったし、「カーネギーホール」やヤッシャ・ハイフェッツの「彼らに音楽を」といった音楽映画にも感動した。

 こうした映画を求めて、ぼくは新宿の帝都名画座(のちの日活名画座)、昭和館、ヒカリ座、新星館、エビス地球座、神田角座、飯田橋佳作座などを訪ね歩いたが、最も頻繁に出入りしていたのは池袋人世坐だった。

 人世坐は、山窩小説で知られていた三角寛が、戦後まもない昭和23(1948)年、池袋駅東口の焼け跡に日の丸を翻してオープンした一風変わった映画館だった。風呂屋か芝居小屋のような外観で、二階に上がる階段が客席内にあり、満員のときはここにも鈴なりになって見られるし、廊下と場内を仕切る板壁がとりはずせるようになっていて、廊下も立見席に早変わりした。椅子も、当初は畳表を貼った長椅子の座席だったように記憶する。片隅の休憩室ではお茶を出し、三角寛お手製の漬物や味噌を売っていた。テケツ(切符を売る窓口)やモギリも、和服姿や夏にはゆかたのお姉さまが目立った。「文士系」と称し、吉川英治、井伏鱒二、徳川夢声、永井龍男、今日出海、横山隆一、河盛好蔵、大下宇陀児などといった文化人が同人として名を連ね、あちこちに色紙が飾ってあったし、イベントにはこの人たちが顔を出した。開館まもないころは、三角寛の奥さまが切符を売り、娘さんが入り口で切符を切っていたという。そこに映画を見に通っていた東大生が娘さんに見初められて養子になり、やがて副社長として実際の経営にあたることになる。ぼくはこの三浦大四郎さんに、のちにとてもお世話になった。


 さて、日比谷のロードショー劇場は高いので敬遠し、一般封切りから2番館、3番館と落ちてきて番線外の名画座になってようやく、スターたちもぼくらに身近な存在になってくれる。パン屋さんでコッペパンを半分に切り開いた片方にマーガリン、もう片方にジャムをぬってもらうのが贅沢だったが、それを持って2本立て、3本立ての映画館に潜り込むと、劇場は場末のおんぼろでも、そこはもう夢の別天地である。

 ただ帝劇の「これがシネラマだ」とか、有楽座のシネマスコープ第1作「聖衣」、新宿コマ劇場でやったトッドAOの「オクラホマ!」などは、清水の舞台から飛び下りるつもりで大枚をはたき、大型スクリーンの醍醐味を味わいに出かけた。待っていても、名画座ではその良さを知ることができないと思ったからである。

 一般封切館ではあったが、新設の池袋劇場も好きな映画館だった。この劇場のスクリーンはとても大きく、それがシネマスコープやビスタビジョンの映写になると、黒いスクリーンカーテンが上に左右に、するする広がっていく。20世紀フォックスのサーチライトが交錯し立体音響のテーマ音楽が始まるときなど、まさに映画の楽しさがふわーっと巻き起こった。ここで見た「エデンの東」「慕情」も忘れられない。


 そんなに映画を見て回れるのは、よほど金持ちのぼんぼんだったかというと、とんでもない。うちは本当にビンボーだった。戦争中、ぼくが7歳のとき、空襲で新宿の家を焼かれ、疎開先で母を亡くし、戦後の混乱期に二人で暮らしていた父が失職し、ぼくも中学生のころからアルバイトばかりやって、ぎりぎりの生活をしていた。

 新聞配達、本屋の店番、図書館の本の修理、ゴムひも売り(ゴムひもやちり紙、歯ブラシなどを風呂敷に包んで一軒一軒売り歩くのだが、いま思うと、元締めは小中学生ばかりを使って同情を利用するようなあくどい商法だった。友だちにばったり会うのが嫌で、これはすぐにやめた)までやった。高校生になってからは、郵便局の内勤を世話してもらい、書状の宛先別仕分けや差し立て(配達の順番通り並べる仕事)に使ってもらった。映画に行くのは、その寸暇を縫ってだし、昼メシもがまんして切符代を捻出していた。高校三年で受験直前の冬休みも、ぼくは年賀状の特別作業で忙しく働いていた。そんな折、投稿した映画評を有楽座ロードショー「トロイのヘレン」の広告に採用してもらえたことは無性に嬉しかった。

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