坂田塾の開塾は平成5年の8月。熊本が始まりだった。「日本から世界に通用するゴルファーを」という想いはその前から持っていた。おぼろげな私の想いをある人との約束が具体化させた。
ある人とは一人じゃない。でも、大勢の方々から言われていたわけじゃない。7名だ。
南札幌病院の理事長であり、内科医でもあった服部先生は、私にその夢を託された一人である。
服部先生は私が稼げぬツアープロの頃から応援してくださった方である。
平成3年6月のことだった。札幌東急オープン出場のために札幌の先生宅に泊まっていたとき、先生が、
「坂田。頼み事がある」
「何ですか?」