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エピローグ

『叱る力』
[著]坂田信弘 [発行]_双葉社


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「生きる」には、喜びと悲しみの両方がある。私は自分の子供に、そして塾生たちに、生きる限り、喜びと悲しみ、その両方あることを教えてやらなければいけないと思っている。


 人生、いいことばかりじゃない。辛いことがある。そのとき誰もがどこかへ戻っていく。だから、私やコーチは、子供たちに戻ることのできる場所を作っておかなければいけないと思う。


 故郷は生まれたところばかりじゃない。誰しも幾つもの故郷を持つ。


 生まれたところ、父母と過ごしたところ、無心で甘えた爺ちゃん婆ちゃん、兄弟と過ごした時間、幼稚園から小学校、中学校、高校、それぞれの時代を共に過ごした友人たち。大学での学友に、社会人となれば職場の先輩、同僚、やがて後輩も入ってくる。好きになった人、愛し合った人、結婚、家族。誰もがさまざまな故郷を抱いている。


 故郷はひとつじゃない。


 一生懸命に生きたその場所と時間と、人との出会いが故郷と思う。


 生きていくということは、故郷をつくることなんだと思う。若いころは思うこともなければ感じることもなかったが、それは家庭を持ち、子供を授かり、ジュニア塾を興して多くの子供たちと共に生きて来て、初めて気付いたことだった。


 


 故郷づくりは、自分の一生懸命に生きた証。だから私は、潔く散ることを好まない。


 晩秋の寒風に吹き晒され、蓑虫と一緒に北風に揺られながらも散り惜しむ山桜の葉が、私は好きだ。


 いつかは散る。でも最後までしがみついている。そして、冬の雨に叩かれ、重くなっていき、最後には、水の重たさを支え切れずに落ちていく山桜の葉のように生きたいと願う。


 重く濡れた葉は、真っすぐ樹木の根元に落ちていく。すぐに自らが育った樹木の腐葉土となり、そして新たな葉を出す養分となる。


 逆に軽くすぐに散ってしまった葉は風に吹かれ、吹き溜まりに集まる。軽く乾いた葉は、己の身の不幸ばかりを嘆き、ジェラシーを持ち、人の不幸を我が幸せと感じてしまう。そうした吹き溜まりに、陽は届かない。世間の愛が届かない。吹き溜まりに大樹が育たぬ理由がそこにある。



 私は、真っすぐ落ちゆく山桜の、濡れ落ち葉のように生きていきたい。


 最後まで、現役として生きていく。


 そして、終わるときは真っすぐに落ちていく。そうすれば、人の世の新たな腐葉土となっていける。現役を貫き通すは義務と思う。やる気、負けん気、へこたれん気ある限り、いつまでも現役だ。本当にそう思う。


 


 若いときに判断力はない。しかし、決断力はある。年老いていくほどに決断力は鈍ってくるが判断力が身についてくる。


 大きな時代の変革期である現代は、確実な判断力が必要とされる。決断は若者に任せておけばいい。だがそれは、確かな判断に基づいた決断でなければ失敗する。


 かつての武家社会でも、一国を治める殿様には判断力を身につけたベテラン家老の存在が不可欠だった。急成長を続ける国でも、家老の判断に耳を傾けることのできた殿様は名君となり、聞かぬは暴君となった。


 現代社会でも、また同じ。馬力と勢い、決断力だけの若者は、大きな落とし穴に足を取られ頭を打ってしまう。


 60歳にて定年とはもったいない。社会の損失だ。70歳を過ぎた方でも、世間はその判断力を必要としている。


 決断力に経験は必要ない。直感で決めていける。勇気だけで決断できる。勇気ある決断は必要だ。しかし、よい決断をするには判断力がいる。経験が判断の力を生む。


 決断力と判断力、この両者が絡み合って、世間は前に進む。片方だけでは迷走する。だから、70歳であっても現役であるべきと思う。早散りは無責任と思う。


 そして、仕事の現役を終えたら、趣味の現役生活が待つ。


 さらに趣味の現役生活も卒業となれば、今度は「生きる」という現役が待つ。


 誰も彼も、長く長く生き抜いてもらいたい。


 


 今年も桜の季節が終わった。


 潔く散る。日本にはその散り際の美学を尊ぶ傾向があるけれど、私にはちっとも美しく思えない。世間のためになっていない気がしてならない。


 


 野球のホームランバッターが、ホームランが打てなくなった時点で引退する。それはその方の美学であろう。


 しかし私は、ホームランが打てなくなっても三塁打があり、三塁打が打てなくなっても二塁打があり、最後にシングルヒットもある。そうやって50歳までも現役の打席に立ち続けるのもプロの姿と思う。


 石田三成が首を()ねられる寸前、喉の渇きを訴えた時「干し柿ならあるが?」と言われ、「いらぬ。干し柿は痰の毒」と言ったそうだ。そして「死に際の者が、何の痰の毒ぞ」と嘲笑されたと言う。そうじゃない。石田三成の一言は、いつまでも現役として死に際までも懸命に生きよう、戦い続けようとした気持ちを死の真際であっても口に出した一徹の一言であると考えたい。


 潔い散り際、私は嫌いだ。

「もう、ここまで」などとかっこよくペンを置きたくはない。


 あがいてもがいて、一行一文字に1時間、あるいは3、4日かかろうとも、私はペンを持ち、そのままこの世とおさらばできたらと思う。


 末尾ながら、この本の出版にあたり多くの方の寛容なるご協力をいただいた。謹んで感謝したい。まだまだ発展途上、お付き合い下さい。


2013年4月 坂田信弘

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