『<戦国時代>徹底比較! 信長と謙信 共通点と違い』
[著]橋場日月
[発行]学研
実際には信長が足利義昭を奉じて上洛し、将軍に擁立したわけであるが、では、謙信が関東重視の政・戦略を放擲して上洛戦を志向したと仮定した場合、謙信に義昭奉戴の目はあったのだろうか。
義昭が越前朝倉義景を見限って信長を頼ったのは永禄十一年(一五六八)七月、信長が義昭を将軍の座につけたのは十月である。当時の謙信の周囲の状況としては、越中の椎名康胤が三月から謙信に反旗を翻し、その鎮定のために越後を空けた隙に今度は本庄繁長が背いている。