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はじめに

『真っすぐに生きる』
[著]井上尚弥 [発行]扶桑社


読了目安時間:3分
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「あなた、本当に怪物なの?」


 2013年8月の田口良一戦前。


 生まれ育った神奈川県座間市での日本タイトルマッチが、あと1週間に迫った頃だった。


 スポーツ番組のスタッフから報告があった通り、テレビでは大々的に僕の存在が宣伝されていた。

“ボクシング界の怪物、井上尚弥”


 そのスター候補と、実家にいる僕を何度も見比べるようにして、母はそう聞いたのだ。

「いまだにそう思えないのよ……」


 母は現在の息子の境遇が滑稽だと思うように少し笑った。


 僕は今も昔と変わらぬように、ソファでくつろぎ、スマートフォンをいじっている。隣にいる弟の拓真も一緒だった。

「俺もわからなくなってきた」


 テレビを観ながら僕はそう答えた。井上特集で僕の試合がハイライトで映されると、リング上で何人もの強豪を叩きのめしている。こうして他人のようにいち視聴者となってその姿を眺めていると、確かに見応えと、壮大な将来性めいたものも感じてくる。

「だから普通だよ、普通。何度もそう言っているだろ」


 台所から、ぐつぐつと鍋の音をさせていた父の声が聞こえた。


 父は湯気の立った大きな鍋をテーブルへ運んだ。

「さ、シンゲタンだぞ」

「シンゲタン?」


 これには思わず家族全員で声をそろえて返した。

「今回から真吾スープはやめてシンゲタンにしたんだ」


 井上家では、試合の10日前から父・真吾がスープをつくる伝統があった。それをやめて、サムゲタンにすることになった。


 そうとは聞いていたが、シンゲタンというネーミングには、みな笑いをこらえた。


 しかし、父の目は本気だ。

「どうだ?」


 僕が鶏肉を骨から割いて、口へ持っていくと、父は僕の反応を凝視した。

「あ、うまい!」

「よし! 全部食っちゃえよ! どんどん食べろ」


 本当に美味しかった。父の真剣さが、実際の味よりもうま味を高めたのかもしれない。


 ふいに父は、僕のスマートフォンへ視線を移し、少し探るような目をして見せた。

「最近、ゲームをやりまくっているらしいな」

「まあ……」


 僕は照れ笑いで返した。


 いわゆるゲームアプリで、僕は好レコードを連発し、それにランキングが付くので、周りの人間を驚かせている。それが父の耳にも入ったようだ。

「知り合いが“息子さん、さすが怪物ですね”だってさ」


 話を戻すがどうなのだろう。僕は怪物なのだろうか。目の前にいる父は「普通」だと断言している。最も深い関係を築いてきた父がだ。


 しかし突然、僕は怪物と言われるようになった。


 2012年7月2日のあの日、あの人の宣言から。

「くう、我ながら上出来。これで今回も勝てるぞ」


 父が自画自賛していた。

「俺たちにとって普通。それが怪物と言われようが、そうではなかろうが、勝ったらそれに自信を持つ。負けたらそれを見つめ直す。その繰り返しでいいじゃないか」


 父はそう言った。



 実はこの本を出すことに「いいの?」という声があった。


 それは僕が、まだ挫折をしていないように感じるからだそうだ。


 そんなことはまったくない。僕だって表に出ない挫折は、いくつも経験してきた。その経験が大一番での成功に繋がり続ければ、他人は非凡な怪物と思うのかもしれない。


 僕たちは僕たち流のやり方で突っ走ってきた。弟、姉、母、そして父と――。


 この本では「怪物」と呼ばれる男の人間的な成長を記録していきたい。


 そこで、誰かが何かを感覚的にでも摑んでくれたり、ボクシングで勝つための根本を見出してもらえればありがたいことこのうえない。


井上尚弥

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