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「千利休・豊臣秀次」事件の真相
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歴史
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“殺生関白”の異名は根も葉もない捏造か

『「千利休・豊臣秀次」事件の真相』
[著]宮本義己 [発行]学研


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 利休が豊臣統一政権の方向性を見誤って(あるいはこれに逆行して)切腹に追い込まれたのに対し、秀次の(しつ)(きやく)・切腹はどのようであったろうか。秀次が石田三成らの秀吉奉行衆の(きつ)(もん)をうけたのは、(ぶん)(ろく)四年(一五九五)七月三日であり、関白左大臣の官職を奪われて(こう)()(さん)に追放されたのは七月八日、さらに(ふく)(しま)(まさ)(のり)らの検使役を前に切腹して果てたのは、その七日後の十五日であった。


 処罰の公式の理由は、「相届かざる子細これあるについて」(『毛利家文書』)という趣旨であって、具体性に欠けるが、前後して秀次と親しい但馬(たじま)出石(いずし)城主の(まえ)()(なが)(やす)(かげ)(さだ)父子などの武将が切腹させられたほか、名だたる大名・()()・文人までもが相次いで連座し、切腹の翌月(八月)二日には、子女(さい)(しよう)ら三〇余人も京都の三条河原でことごとく殺されている事実は、単なる罪と罰の領域を超えた(ちよう)(ばつ)的な()(おき)や、残忍なまでの(むご)さを感じさせる処罰の結果と合わせて考えると、(あい)(まい)な公式見解とは裏腹に、かなりの重大な過失を想像させよう。

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