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すべてのJ−POPはパクリである
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エンタメ
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ヒット曲を生み出す時代背景

『すべてのJ−POPはパクリである』
[著]マキタスポーツ [発行]扶桑社


読了目安時間:7分
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「歌は世に連れ、世は歌に連れ」


 昔から歌謡ショーなどの前口上でよく聞く言葉です。玉置宏さんなどの名調子が懐かしくなるところですが、この言葉のとおり、ヒット曲は往々にして「時代と寝る」ものです。


 寄席で軍歌などを取り入れた落語を聴かせる(かわ)(やなぎ)(せん)(りゅう)さんという落語家がいるのですが、この方が言うには戦時中でも日本軍が快進撃を続けているときは明るい曲調の軍歌が流行り、戦況が苦しくなってきたらマイナー調の暗い軍歌が増えてきたそうです。この本ではそこまでさかのぼる必要はないので、まずは現在のヒット曲が生まれる時代背景を考えていきましょう。



 今の世の中は、「ツッコミ」が溢れ過ぎています。お笑い芸人が出るバラエティー番組が世間に浸透しきったことによって、本来は芸人だけが持っていればよかったツッコミというスキルを一般の人たちも身に付けるようになりました。加えて、SNSなどの発展によりごく普通の生活を送っている人々が社会問題からタレントのスキャンダルまで、極めて他罰的に他人に対して「ツッコむ」さまが可視化されることも当たり前の状況になっています。



 そもそも、お笑いにおけるツッコミとは相手に対する愛情であり、ツッコミをすることによって「相手を生かす」という行為です。ところが、現代の社会に溢れる「ツッコミ」は、相手に対して自分を一段高いところに置いて行うことが普通になっています。


 こういった本来のお笑いの文脈を外れた「上から目線のツッコミ」のように物事を客観的、俯瞰的に見ることを私は「メタ視点」と呼んでいます。「メタ」という言葉は「高次の〜」とか「超〜」という接頭語ですが、「メタ視点」とはそこから派生して自己言及的であったり、物事を対象化して語ることを意味したものです。人々がメタ視点で物事に対して一歩引いて見ることが当たり前になった結果、面白いことにその真逆の「我を忘れさせてくれるもの」「純粋無垢な印象を与えるもの」がヒットするようになっているのです。


 ヒット曲という観点で言えば、AKB48を始めとするアイドル・ソングなどは、ファンたちが我を忘れて夢中になっていますし、彼らが夢中になるのはこの時代において純粋無垢なイメージをアイドルたちが与えてくれるからでしょう。また、アイドル以外に目を向けても、GReeeeNのPVは感動仕立ての泣ける演出が施されていますし、解散したFUNKY MONKEY BABYSなどの気恥ずかしくなってしまうような「真っすぐ」な楽曲の数々がヒットしているのも、このツッコミ過多な時代において大変面白い現象といえるでしょう。



 このメタ視点、という観点からちょっと歴史をさかのぼってみましょう。


 私は1985年を「日本人がメタの時代に突入した年」と考えています。この年の1月、ソニーが8ミリビデオの1号機を発売します。もちろん、一般的に普及するまではもう少し時間がかかりましたが、「生まれたときから自分の姿がビデオに撮られている」ということが当たり前になってきます。つまり、自分を客観的に見る目線を分かりやすく獲得できるようになったというわけです。


 時代もまた、メタ的なものが求められていました。例えばテレビの世界では、その少し前からマンザイブームの渦中で、今で言う「あるあるネタ」が爆発していたのです。「あるあるネタ」とはそもそもの視点がメタ的なものなのですが、青春ドラマでの「あの夕陽に向かってダッシュだ!」という青臭いシーンや、ワイドショーでリポーターが「事件現場に来ています」というような、ありがちなシーンをネタにした漫才やコントが多く見受けられました。ビートたけしさんはその中でも代表的な人で、「夕陽に向かってダッシュしろって、どこまで行けばいいんだよ?」などと言いながら、これまでのテレビ番組や映画界のありがちな定型にツッコミを入れて笑いを取り、絶大な人気を獲得していったのです。


 皆がそういう「メタ的なもの」を見慣れたことにより、作り手の側にも「今の客には紋切り型のパターン化された表現は通用しない」という気運が高まっていました。そこへ、同じく1985年に秋元康さんが小泉今日子さんに『なんてったってアイドル』という、ある意味「メタ的な歌謡曲」を提供したのです。アイドル自身が「私はアイドルよ」と歌う、という一歩引いた目線が当時は新しく、この曲は大きな話題になりました。


 また、久留米の不良だったチェッカーズが、わざとチェック柄の衣装を着こんで「俺たちはアイドルやってま〜す」と、「アイドルを演じる自分たち」というメタ視点を感じさせるようなことを言いながら『ザ・ベストテン』などの歌番組に登場し、1985年にはオリコンチャートでも『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』が年間1位を獲得して絶頂期を迎えていました。


 そして、この年に放送を開始した「夕やけニャンニャン」で爆発的な人気を得たとんねるずは「〜みたいな」というフレーズを流行らせましたが、これもメタ視点的なものといえるでしょう。


 こういった当時の若い世代の人たちの旧態依然とした歌謡界や芸能界をちょっとからかっているかのような存在感や、一歩引いたメタな目線から自分をプロデュースする感覚が、1985年には強烈に新しかったのです。


 さらに、この年には日本社会党が新宣言草案の中に「愛と知と力のパフォーマンス」という表現を用いたことをきっかけに、「パフォーマンス」という言葉が新語・流行語大賞の新語部門に選ばれています。これは後に「あの人のやっていることはパフォーマンスだ」というように外部を意識した言動や振る舞いを指す言葉として定着していきますが、メタ視点の時代に突入したこの年にこういった言葉が新語として世に広まったというのも偶然とはいえない一致です。



 このメタ視点が面白がられる傾向は、バブル景気の時代も続き、バブル崩壊後の「失われた20年」の後半期まで続いていたと思います。実際には無我夢中で表現したり生きていたりしたにもかかわらず、「別に必死にやってないし」「あんまりガツガツするのはダサいよね」「自分の感情をストレートに表現するのは恥ずかしい」というような「余裕のある態度」、もっと言えば「気取っていたり、スカしたりしている態度」がカッコいいとされていました。また、受け手の人々が「ツッコミ目線」を獲得していくなかで、夢中な人を「何を必死にやっているんだよ」とツッコむような引いた目線で見ることが「クールなものの見方」という共通認識が生まれていったのです。



 ところが先述のように、いつの頃からか人々は「メタ的な視点」「ツッコミ目線」を持ったまま、「我を忘れさせてくれるもの」や「純粋無垢な印象を与えるもの」に夢中になっていくようになります。例えばサッカー日本代表の国際試合や、その少し前の時代にはダサいとされていた「お涙ちょうだい」ものの小説や映画などです。2002年に日韓ワールドカップが開催され、2001年に小説『世界の中心で、愛をさけぶ』が発刊されて2003年に100万部を突破、2004年に映画化という流れを考えると、2000年代初頭がターニングポイントだったのかもしれません。


 当時のことを考えてみると、「サッカーなんて1993年のJリーグ開幕まで、誰も話題にしてなかったじゃねーか」などと仲間内ではツッコミながら、実際のワールドカップでは夢中になっていたり、「あんなベタベタな展開、サムいわ」とか言いながら、長澤まさみさんが空港で倒れるシーンで号泣していたり、といった「ツッコミつつ、熱くなる」という現象に若干の気恥ずかしさを感じつつ、「でも、こういうのも一周回って面白いかもね」と批評家ヅラしながら自分が熱くなった気持ちを正当化していた人たちも多いのではないでしょうか?


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