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すべてのJ−POPはパクリである
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エンタメ
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おわりに

『すべてのJ−POPはパクリである』
[著]マキタスポーツ [発行]扶桑社


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 これまで、「日本のポップスはすべてノベルティー・ソングだ」「日本人は輸入文化をアレンジするのがうまい」という話をしてきましたが、では日本においての「オリジナルなポップカルチャー」というものは存在しないのでしょうか?


 私はアメリカにおけるロックに似た日本の文化はお笑いだと考えています。



 アメリカでは、英語という言語の特性に加え、黒人音楽であったブルースやリズム・アンド・ブルースと白人の音楽であったカントリーなどさまざまな文化圏の音楽が交じり合うことでロックというものが必然的に生まれていきました。そして、その文化は常に進化しながら自らを更新していくことで主に若者を夢中にさせる大衆文化となったのです。このような文脈が日本のお笑いにもあると思います。


 そもそも大衆とはマスメディアの発達なしには生まれ得なかった存在です。そして、大衆が生まれなければ、ポップカルチャーも誕生することはなかったでしょう。無料で楽しめるフリーメディアが大衆に新しい娯楽を提供することで、ポップカルチャーは成長していきました。具体的には、アメリカでは1950年代半ばにロックが誕生し、ラジオやテレビ、映画などを通じて大衆に浸透していったように、日本では1953年のテレビ放送開始とともに軽演劇の役者や寄席芸人などが大衆の人気者となっていきスターダムに駆け上がります。


 アメリカのロックも演奏する環境やメディアの変革など時代の空気を取り入れながら進化を遂げていきましたが、日本の演芸の世界もライブからラジオに、ラジオからテレビにというようにステージが移っていくに連れ、敏感に対応して進化を遂げていきました。分かりやすい最近の例を挙げれば、1980年代には10分前後あったテレビでの漫才の時間がどんどんと短くなり、2001年から2010年まで行われていたM‐1グランプリでは準々決勝以降のネタ時間が4分と決められ競技化していったのです。ライブ向きなネタ、ラジオ向きなネタ、テレビ向きなネタ、という具合にメディアや客層に合わせたカスタマイズやパッケージ化といった更新作業も常に行われています。


 こういった変化が激しく、さらにはカウンターカルチャー感のある文化に飛びつくのはやはり若者ですし、若者のハートをわしづかみにするものが大衆的なポップカルチャーだとするならば、やはりお笑いは日本のポップカルチャーの名にふさわしいものでしょう。



 そう考えてみると、この本では「ヒット曲の法則」を探るという形で、音楽を通じて「ウケる作品を作る方法」を紹介してきたわけですが、これまで述べてきたことは音楽以外の表現でも使えるテクニックや考え方だ、ということにより説得力が増すのではないでしょうか?


 私は決して、大衆文化を否定しません。だからこそ、パクリも否定しません。改めて申し上げておきましょう。「パクリ論争などバカバカしい」と。


 また、私がお笑いを用いてヒットする音楽作品をひもとくというのも必然なことだったのかもしれません。



 最後にもう一度強調しておきますが、現代は「誰しもが表現する時代」です。誰しもが作品を作るわけではないでしょうが、SNSなどを通じて自己アピールすることをある種、強要されるような世の中なのです。もちろん、それらから距離を取ることも正しい対処法の一つですが、せっかくならば自分自身を「作品」と考えてウケをとっていくというのも、この時代を生きていくにはふさわしい態度なのかもしれません。


 しかし、「今まで見たことがないような方法で、俺というオリジナルな人間をアピールするぞ!」と必死になっても、そもそもそんなものはないのだ、と考えたほうが精神的にラクです。そんな完全オリジナルな「自分らしさ」を内側に掘っていっても、大抵の場合、暗くなるばかりでいいことなんか何もない(そうじゃない人はどうかそのままでいてください)。


 だから、この本で書いてきた「作詞作曲モノマネ」という考え方を頭に入れておけば、先人たちのやり方や、既にあるものをうまくカスタマイズする形での「自分らしさ」が表現できるならそれにこしたことはない、と思っています。



 それにもう一つ。お笑いの世界で活動をしていても思うことなのですが、世の中のさまざまな表現に対して、「分からないからつまらない」と簡単に言い放ってしまう人が多いのです。ツイッターなどでもそういう意見が目に触れる機会が増えていますが、それは殺伐としかしない行為なのです。

「分からない」ことがあるからこそ、「ものの見方」が分かったときの、目から鱗を落とす体験はすごくポジティブなことだと、私は思います。


 この本でくどくどと書いてきたことは、「分析・分解の方法論」でもあります。好きなジャンルの歴史を掘り返してみたり、アーティストの癖などを分析してみれば、「面白くない表現」なんてなくなるはずです。


 少なくともこの本を通して「J‐POP」だけでなく、音楽全体の楽しみ方の入り口に立てればいいと思いますし、欲を言えば、絵画だろうが料理だろうが何だろうが、表現というのは「こうして作られている」ということを楽しんでいただけるようになれば幸いです。



 最後になりましたが。僕の融通の利かないスケジュールの合間を縫って、校正作業を丹念にやってくれた扶桑社の織田くん、あなたがいなければこの企画自体も存在し得ませんでした。わがままを実現化してくれたデザイナーの轡田昭彦さん、坪井朋子さん、そして、数々の気付きを与えてくれた、岩崎太整さん、ゲイリー堀崎くん、萩原健太さん、大瀧詠一さんに深く感謝いたします。皆様の協力なくしてこの「問題の書」は完成しませんでした。心より御礼申し上げます。



    *



 2013年、大晦日、ちょうどこの本を脱稿しようとしていたときに、本書にとって非常に重要な方の訃報が飛び込んできました。一瞬どういうことなのか理解できず、頭が真っ白になったことが思い出されます。



 本書にも登場している大瀧詠一さんが、2013年1230日にお亡くなりになりました。



 大瀧さんにお会いしたのは3年前。知人のライブに行った折、私は陣中見舞のため楽屋に顔を出していました。「マキタスポーツくん」。背後から声を掛けられ、振り返ると、なんと大瀧さんの姿が。大瀧さんは矢継ぎ早に、「キミの作品、アレ素晴らしいね」と。


 ビックリしました。「大瀧さんは自宅に巨大なアンテナを立て、あらゆる放送をチェックしてる……」という都市伝説は聞いていました、が、まさか自分の作品まで聴いてるとは……いやはや本当に驚きました。と同時に、生意気を言わせていただければ、「やっぱり届く人には届くんだ」と思い、非常に感慨深かったのでした。


 短い時間でしたが、さまざまなアドバイスをいただき、あろうことか別れ際に「久々に期待してるんだよ、マキタくんには」とまでおっしゃっていただきました。忘れません。



 風の噂では、私が自分のラジオ番組で必ず言う、冒頭の決まり文句「ちょっと早いけどメリークリスマス」を、大瀧さんもネタにして使っておられたとか。また、氏に非常に近しい方から「彼、まめにマキタさん、チェックしてますよ〜」などと言われて身が引き締まる思いでした。



 音楽はもちろん、物事には「謎」が存在します。これを放置するか、解決するか、「謎」に対するスタンスは人それぞれです。私はこの「謎」に対する「取り組み方」が独特と言われています。教育には「内」と「外」があり、私が特殊なのは、音楽教育を「然るべき場所」で受けてこなかった在野の「外道」だからでしょう。私の「謎」に対する追求は、人の速度とも合わないし、質的にも、変てこりんなものかもしれません。でも、自分なりに手探りで解決してきましたし、これからもそれはやむことはないでしょう。思えば、私は孤独でした。そんな私に真っ先にエールを送ってくれたのが大瀧さんです。人に相談することもなく、自分なりに「解き方」を探して、ようやくたどり着いた解法の先にはだいたい大瀧さんがおられました。


 私には「音楽の先生」はいません。でも、唯一先生と呼べる人が現れたと思った矢先でした。「先生、このアイディアどうですか?」「それはね、誰それがやってるよ」「先生、これ分からないんですが」「19××年にね、某氏がこういう作品を出して解決してるよ」云々……。これからいろいろ恩返しするつもりだったのに。悔やまれてなりません。



 この本を世に送り出せたのは先生のおかげです。ありがとうござました。合掌。

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