今や「韓流」は、日本におけるメインカルチャーのひとつになりました。これに対するアンチとして、サブカルチャー(サブカル)的に、「嫌韓流」「悪韓論」といった言説が書籍やネットの世界で氾濫しています。たとえば、「茶道は韓国起源だ」と主張する韓国人を嘲笑する為の、水筒からお湯を取り出す動画がインターネットで話題になったりしています。ニコニコ動画という動画共有サイトの政治ジャンルでは、ランキング上位を占めるのは決まって韓国ネタです。ただ、サブカル的に韓国を叩いても、溜飲は下がるかもしれませんが、それが本質論になるでしょうか。日本人が考えるべき話かというと違うのではないか。だから、周辺のエピソードを羅列するのではなく、真正面から編年体で政治外交史を中心に韓国問題を取り扱ってみたいと思います。
私は憲政史の専門家を名乗っていますが、歴史学で憲政史は日本近代史の政治外交史に分類されます。日本史とか日本近代史といっても、周辺諸国のことを知らなければ自分の専門のことがわからなくなります。「嘘だらけシリーズ」の前二作、『日米』と『日中』でも、昭和の憲政の常道を研究するならば、アメリカや中国に関してこれくらいの知識と認識がなければ困る、というレベルの話をしました。
ところが、この手法を本書でも導入しようとして、非常に困りました。なぜならば、朝鮮半島のことなど知らなくてもまったく困らないからです。はっきり言えば、視界に入らなかったのです。私は専門に閉じこもるのが嫌で、専門の前提としての教養の幅は広げておこうと、直接は関係がない分野の知識も身につけようとしていました。およそ、他人が興味を持たないバルカン半島に関する本を読み漁った時期もあります。しかし、朝鮮半島のことはほとんど関心を持たなくても、何の痛痒も感じませんでした。
これにはカラクリがあって、朝鮮は常に「場」(Theater)であっても、「主体」(Actor)ではなかったからです。これは、琉球という「場」(Theater)で日本と中国という二つの国(Actor)が争っている構図と同じです。現に日本の東洋史学界でも、朝鮮史は中国史の一部として扱われます。だから、日本史の史料を精読しつつ、中国史家の議論、特に中国史のなかでも周辺諸民族に精通している岡田英弘東京外国語大学名誉教授の著作を読んでいれば、朝鮮半島のことはあらかたわかってしまうのです。
併合するまで日本人は朝鮮のことを「アジアのバルカン半島」と呼んでいました。バルカン半島は二つの大戦の導火線となるような紛争が絶えないので「火薬庫」と呼ばれています。戦前の日本人にとって、朝鮮や満洲は「アジアの火薬庫」だったのです。ただ、バルカン半島の小国は常に大国を振り回し、あまつさえかかわった大国のほうがすべて滅んでいます。他人事だと、ある種の爽快感すらあるのです。
しかし、朝鮮は常に小国であり、宮廷内部では派閥抗争が絶えず、大国に翻弄され、そして自分と民衆の不幸だけが拡大していく。
まず、朝鮮半島に関して認識すべきは、彼らは主体性のある「国」ではなく、周辺諸国に常に蹂躙される「場」なのだということです。