日本は日清戦争に勝利し、朝鮮半島から清国を追い払います。明治初年以来の悲願を達成しました。
しかし、下関講和条約を結んだ直後の明治二十八年(一八九五年)四月、露仏独が「賠償金はいいが、領土を獲りすぎるな」と勧告してきました。世に言う三国干渉です。
当時の力関係では、三大国のどの一国と戦っても日本に勝ち目はありません。日本は黄海の要衝、遼東半島を清国に返還し、賠償金の上乗せに切り替えました。
その後、眠れる獅子と恐れられた清は「ただのブタ」と侮られ、列強の食い物にされ、十七年後には滅亡してしまいます。
一方、下関条約には朝鮮の独立と清の宗主権を否定する内容が含まれていました。「朝鮮の独立」は日本の単純な善意ではありません。