しばしば、日本はアジア諸国から先の大戦について謝罪を求められます。
平成七年(1995年)には「村山談話」で、過去の侵略戦争に関してお詫びを表明しました。問題はこの談話が、いつからいつまで誰を相手に戦ったどの戦争なのか、村山富市首相すらわかっていなかった代物だったということです。
そして平成二十二年(2010年)には、当時の仙谷由人官房長官が、韓国だけに謝罪をしようとしました。そこで私は個人ブログ「倉山満の砦」で、「倉山談話」を発表しました(のちに『WiLL』平成二十五年三月号に掲載)。
倉山談話
満洲事変で、私達日本人は拉致された朝鮮人の人権を守るために、世界中を敵に回し、最後は国を焦土としても戦い抜きました。両国友情の証に褒めてください。
支那事変では、韓国人の皆様は本当によく協力してくれましたね。あなたたちがそこまで中華帝国を大嫌いだとは知りませんでした。忘れないよう、感謝いたします。
大東亜戦争中は、日本人の名前を名乗らせないのは差別だとか、兵役の義務を与えないのは差別だとか、同じ帝国臣民としての権利を認めないのは差別だとの声に、こたえるのが遅すぎたようです。