国父・朴正煕大統領の暗殺によって再び戒厳令が敷かれます。街には、憲兵隊が闊歩します。
朴正煕時代は、独裁政権下とはいえ、韓国史上で例を見ない経済成長で国民は豊かさを謳歌していました。政治的自由に関して多少の不自由さを感じることはあっても、いつの時代どこの国でも、治安が保たれ、生活が立ち行き、公正な裁判が行われていれば、不満なく暮らしていけるのです。
北朝鮮は朴正煕政権のことを「ファッショ独裁者殺人鬼一味」と呼んでいたものですが、鏡に映った自分のことを指していたのでしょう。
日本では、朝日新聞を代表するメディアが朴正煕を「悪の軍事独裁政権」と蛇蝎の如く嫌う反面、北朝鮮のことは「地上の楽園」と礼賛していました。いずれが真実かは今となっては誰の目にも明らかですが、一九七〇年代後半の日本のメディアはこのような有り様だったのです。
さて、戒厳令下、崔圭夏首相が後任大統領として混乱の収拾にあたります。
朴正煕末期から「民主化」を求める学生らのデモは激化していましたし、長い政権というのはそれだけで腐敗が付きまとうものです。朴正煕個人は清廉で、しかも妻を暗殺によって失うという犠牲を払うほど、政治にかけていました。私心があろうとは思えません。しかし、二十年も開発独裁を続けていると、側近たちの権力闘争やそれに伴う利権の分配など、腐敗はどうしようもなく進むものです。朴正煕暗殺も、側近たちの権力闘争のなかから飛び出したのです。常に独裁者に付きまとう危険です。
文官の崔圭夏は結局、民心を鎮められません。韓国で当事者能力があるのは軍です。全斗煥がクーデターで政権を奪取することになりました。
韓国検定教科書(『韓国近現代の歴史 検定韓国高等学校近現代史教科書』)で確認しましょう。
韓国人の主張
全斗煥はクーデターで政権を奪取し、民主化運動を弾圧した。
民主化運動といっても、韓国のデモは平和的デモではなく、暴力をふるった学生が逮捕されると、報復の為に交番勤務の警官を“拉致”し、「人質交換」によって仲間を釈放させるという、非合法活動をも含んでいます。
もう大昔になりますが、全斗煥時代に学生運動をしていたという留学生と永田町で一緒だったときに自治労のデモ行進に出くわしたのですが、「あいつらは本気で国を変えようと思っているのか」と冷笑されていたのを思い出します。
ちなみに、日本語を学習しているとか、日本に留学した(する予定である)というのは、それだけで「親日派」のレッテルを貼られかねないので、彼らはデモのときは常に先陣を切って愛国心を示さねばならなかったそうです。
全斗煥は全体として決して悪い政権ではないのですが、朴正煕時代末期の不満をすべて引き受けた面もあり、随分と損な役回りとなりました。しかし、どう考えても、その後のすべての大統領よりはまともでしょう。
全斗煥の在職は一九八〇年から八八年ですから、日本で五年半の長期政権を築いた中曽根康弘時代とかなり重なります。
アメリカでは弱いカーターに代わる、強いレーガンが登場し、イギリスのサッチャー、フランスのミッテラン、西ドイツのコールとともに、本気でソ連を潰すべく「スターウォーズ」を挑んでいく時代です。
結局、米ソは直接の戦闘を交えることはないのですが、軍事的衝突がないということは、経済の比重が高まります。レーガンはソ連に対して核開発を中心とする軍拡競争を挑みます。ソ連が軍事力で引き離されまいと軍拡競争に追随すれば、いずれ経済が崩壊する。核戦争など、圧倒的に有利な状況でなければ実行することなどできない、と強い意志を示したのです。これが「レーガノミクス」の本質です。
今のアベノミクスが目指すところと同じです。
日本とは、教科書問題や靖国神社参拝問題で関係が冷却しました。正確に言えば、日本のマスコミが「教科書に『侵略』を『進出』と書き直させました」「八月十五日に靖国神社に参拝するなどアジア人民の気持ちを考えていない」などとあることないこと告げ口するので、中国と韓国が仕方なく抗議し、日本政府が謝るということを繰り返しました。中国の鄧小平はソ連と張り合っており、韓国の全斗煥はアメリカ陣営の同盟国です。日本政府の軟弱は確かに問題なのですが、ここで揉めて得をするのは誰か。騒動を仕掛けた日本のマスコミは誰の利益の為にやっていたのでしょうか。
冷戦最末期にあたるこの時期、北朝鮮は露骨な工作活動を展開します。全斗煥が直面した事件でも、一九八三年のラングーン事件と、一九八七年の大韓航空機爆破事件があります。いずれも、北朝鮮によるテロです。
ラングーン事件は、ミャンマーの国父・アウンサン将軍廟を訪れた全斗煥を狙った爆弾テロです。ミャンマーと北朝鮮は比較的良好な関係だったのですが、そんなことなどお構いなしに宿敵の全斗煥を暗殺しようとしたのです。幸い、全斗煥はこれをかわしましたが多数の死傷者が出ました。
大韓航空機爆破事件は、全斗煥が招致したソウル五輪を妨害しようとしたテロです。よくわからない理由ですが、要するに韓国の民間航空機が原因不明の爆破を起こすことにより、国際社会の信用をなくし、諸外国がオリンピックを棄権することを狙ったものと言われています。一九八〇年のモスクワ五輪がソ連のアフガン侵攻で西側諸国のボイコットにあい、報復として四年後のアメリカのロス五輪がソ連以下東側陣営にボイコットされるという時代ですから、北朝鮮がよくわからない妄想を抱いたのかもしれません。
大韓航空機爆破事件は、犯人が北朝鮮の工作員だとばれて、あきれたソ連以下東側陣営はむしろソウル五輪参加を決断するのですから、皮肉なものです。ソ連としても、韓国に恩を売るチャンスです。晴れて韓国は、東西両陣営が十二年ぶりに揃ったかたちでの華やかなソウル五輪を演出することができました。
日本人にとって重要なのは、この事件で犯人の教育係に日本人がいたこと、その日本人は北朝鮮に拉致されていたことがわかったことです。
全斗煥は、軍人らしい合理主義者でした。「克日論」を唱え、日本の植民地になった自分たちを反省しよう、と主張しました。大統領といえども勇気のある発言です。
朴正煕末期に落ち込んだ経済を立て直し、オリンピックの招致などで実績を上げました。しかし、自らはソウル五輪を開催することができませんでした。光州事件など、人権弾圧や民間人殺害、そして汚職などへの批判が強まり、政権移譲を表明します。
後継をめぐる大統領選挙では、野党の金泳三と金大中が譲らず、軍人出身の盧泰愚が漁夫の利を得ることになります。
以降、韓国は選挙で政権交代を行う民主制が定着していきます。しかし、大韓民国建国以来の今に至る政権交代と大統領の末路を見ると、革命、クーデター、暗殺、出家、逮捕、自殺と、いつの時代の話かと目を疑いたくなります。
ちなみに出家したのは、全斗煥です。儒教国家の韓国でも、今や過半数がキリスト教徒でソウルを歩いていれば教会にあたるような有り様ですが、あえて出家を選んだ全斗煥は、武人の宗教である仏教に殉じたということでしょうか。
韓国大統領の実態は、「五年任期の王様」です。かつてのような軍隊や秘密警察を使った露骨な弾圧こそありませんが、議会の反対などは「大統領の統治行為」という無茶な法解釈で乗り切ってしまいます。大統領は法の上にあるかのような存在です。そうなると、「大統領を倒せるのは、次の大統領だけ」というような苛烈な政権抗争が展開されることになります。
似たような制度の台湾では、民進党の陳水扁が総統の座を降りた後に反対党の国民党に逮捕され、「台湾政治の韓国化」と言われました。台湾はこれを恥じて政治の浄化に努めているようですが、国民党の一党優位が進むばかりのようです。
台湾政治も韓国政治に共通しているのは、議員の行儀の悪さです。乱闘議会など日常茶飯事です。史上初のまともな民主的選挙に際して、金泳三も金大中も譲れば多数派を獲れたものの、しょせんは活動家上がりで野党暮らしが長く、目立ちたがり屋根性で統一的行動がとれません。盧泰愚が勝利するのも、むべなるかなです。