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最後のイタコ
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ルポ・エッセイ
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●解説「最後のイタコ」とならないよう継承していきたい

『最後のイタコ』
[著]松田広子 [発行]扶桑社


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江刺家均(郷土史家)


 南部八戸イタコ六世代の松田広子杖は、南部地方(八戸市を中心とする沿岸部)に江戸時代より師弟関係によって伝承されてきた、伝承イタコの六世代目になります。ひとりの師匠イタコが何人かの弟子に伝えるため、六番目の世代の弟子という意味で六世代目と呼んでいます。

 南部地方でいつごろから目の不自由な女性たちが「神祀り」と関わって、「イタコ」と呼ばれるようになったのか、はっきりしません。百科事典風にいえば「東北地方で霊を口寄せする巫女(みこ)のことを、イタコと呼ぶ」となりますが、南部八戸地方のイタコは、いきなり死者の霊を呼び寄せることはありません。

 常日ごろから身の回りの「神仏」と関わり修養を積むことによって、その神様仏様の力を借り、霊の依り代として亡き人の魂から発せられる声や音、匂いを直感的に感じ取り、口づてに語るのが「口寄せ」となります。

 南部伝承イタコがほかの地域のイタコと区別できることは、江戸時代の半ば、今から250年ほど前からの師弟関係がはっきりし、目の不自由な女性の職業として組織化されて以来、連綿と六世代にわたって受け継がれ、伝承されてきたことです。

 太宗婆(名前不詳)が、それまで修養蓄積してきた「巫史・口寄せ」の技と「オシラ様遊ばせ」の技のすべてを山伏惣録の鳥林坊の女房に伝えることによって、鳥林坊と女房の二人で目の不自由な女性の職業として成り立つように組織化されました。

 この女房が二代目の功労者で「高館イタコ」「高館婆さま」と呼ばれる人です。この高館イタコの弟子が川口きせ杖で三世代目。川口の弟子が根城すゑ杖と石橋すゑ杖の四世代目。根城は弟子を取らず、石橋の弟子が林ませ杖で五世代目。林の最晩年の末弟子が松田広子杖と日向けい子杖です。松田は年齢では日向より少し下ですが、弟子入りの時期が早く、姉弟子ということになります。

 石橋すえ杖は数多くのイタコを育て、また、弟子の林ませ杖も同様にたくさんのイタコを育てました。戦後から平成にかけての南部地方で活動したイタコの多くは、この二人によって育てられたといっても過言ではありません。

 石橋の姉弟子、根城すゑ杖は東北北部の民俗研究の先駆けである小井川潤次郎に、昭和の初年代から知っている限りの「口寄せ」「オシラ様」「オシラ祭文」を語り、小井川によって書き留められた「イタコ、オシラ様」のおびただしい文章と資料は、日本の「民俗・民間信仰・習俗、イタコ、オシラ様」研究の基本的資料となって、多くの研究者に活用されています。

 南部八戸地方では、目の不自由な女性がイタコとなり「神降ろし、仏降ろし、口寄せ」「オシラ様遊ばせ」をすることによって生業としたころ、男性も同じような職業化が行われています。

 同時期に男性の目の不自由な人たちは、検校の資格を持つ「一の坊」が八戸に来住して手に職を持つように指導し、マッサージ・鍼・灸を習得することで生業が立ちます。こうした男女の目の不自由な人々の職業化が形成されていたからこそ明治時代に入り、全国で5番目という早さで「八戸盲聾唖学校」が設立されたのでしょう。そこには東北全域や北海道から、多くの目の不自由な人々が集まり学びました。津軽三味線の名人として知られた高橋竹山もそのひとりです。


 イタコやオシラ様を初めて専門的に調査をし、学問的課題として取り上げたのが、八戸市の小井川潤次郎でした。「八戸郷土研究会」を設立した昭和3(1928)年と同時期に始められています。その書き留められた資料や文章は、膨大な量に及びます。私は小井川潤次郎が晩年に「最も気にかけ常日ごろ口に出していた最下限の年齢の者」という縁を得て、40年に渡って小井川の文章を読み続けていますが、まだまだ気の遠くなるような量の文章が残されています。


 松田広子杖と初めて出会ったのは、青森県による県民のためのテレビ講座「青森夢工場」という番組を制作した平成10(1998)年のこと。「最年少のイタコ」を県民に紹介したいという企画があり、その監修を私がすることになりました。まだ霊場恐山にイタコデビューして間もなく、初々しさの残る若き日の広子杖です。

 そのときから3年ほどたったころ、「小井川潤次郎の書いた文章や、オシラ祭文がわかりにくいから教えてください」との連絡をもらったことから、私と広子杖の勉強が始まりました。

 イタコやオシラ様のことだけではなく、広く東北地方の文化や歴史、民俗といったことから、八戸市周辺の限定された地域の民俗・文化・歴史・生活といったことにも及びます。時には私の主宰する「ふるさと塾」や「はちのへ歴史探訪倶楽部」などに家族ぐるみで参加してもらうなど、和気藹々とした勉強もありました。

 平成18(2006)年に至って、南部伝承イタコの高齢化と衰微を目の当たりにし現状を調査し、多くの人々の「オシラ様」「イタコ」に関する疑問に答えるために、小井川静夫から引き継いだ研究会を「はちのへ郷土研究会」に改めて、スタートさせました。「オシラ様遊ばせ」の伝承民俗儀礼が消滅していくことや、伝承されてきた六世代のイタコが廃れてしまわないようにとのことからです。

 松田広子杖にはこの伝承民俗儀礼を習熟するように、日々勉強を続けてもらっています。消え去ろうとしている「オシラ様遊ばせ」や「オシラ様」「イタコ」の伝承世界を、広く人々に知ってもらおうと研究会とともに活動を行っています。

 平成23年2月には「第一回まちなかイタコ祭り/たやオシラ様遊ばせ・春祈祷」、同12月に「第二回まちなかイタコ祭り/まちなかオシラ様遊ばせ・オシラ祭文復興収穫祭」、平成25年4月に「第三回まちなかイタコ祭り/おしら様遊ばせ・春告祭」を、「口寄せ」とともにおこなっています。

 本書タイトルにあるように松田広子杖には「最後のイタコ」とならないよう、はちのへ郷土研究会の活動と連携しながら、南部伝承イタコの七世代〜八世代と継承できるように研鑽を重ね、習熟することを期待するところです。

(イタコの呼び方について、古くは「広子女、広子嬢、広子巫女」と「女・嬢・巫女」の称をつけて呼んでいますが、はちのへ郷土研究会では「根城すゑ杖の時代、ムラサキシキブの木の三尺五寸の杖を授受伝承していたこと」、相談者の「生活や人生の水先案内の杖」となることから「杖」の文字を、敬意をこめて使用しています)
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