『<伊達政宗と戦国時代>実力伯仲! 伊達政宗の政敵たち』
[著]渡辺誠
[発行]学研
蒲生氏郷の会津拝領のことが決まってから一〇〇日足らず、黒川入城から数えると五〇日前後であろう、厳冬の十一月五日、氏郷は会津を出陣し、奥州仕置により所領を没収された大崎義隆・葛西晴信の旧領地に勃発した旧臣・農民の一揆(前月十六日蜂起)の鎮定に赴いた。その兵、わずかに三〇〇〇、故地の松坂にはあり得ない積雪の中の行軍だった。
この鎮定が、小田原攻めに遅参したことを咎められ、会津・仙道を没収されて置賜の米沢に戻された伊達政宗と轡を並べて行うように、秀吉に命ぜられたことは、よく知られている。