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それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子
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ルポ・エッセイ
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家族の笑顔

『それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』
[著]山川徹 [発行]_双葉社


読了目安時間:6分
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 二〇一二年一二月中旬。東京都渋谷区――。


 テーブルの上に置かれたiPhoneが点滅し、振動していた。画面に表示された名前を確認した板野奈津は、顔をほころばせて話題を変えた。

「私が好きなバンドのローディーさんからです。結構、有名でメチャクチャすごい人なんです。なぜかヒマなとき、私に電話をかけてきてくれるんです。どうってことないイタ電なんですが、尊敬するプロい人からそんな電話をもらっても何も話せなくなっちゃって……」


 二一歳の板野奈津の口調から自分が目指す業界の“プロい人”への憧れと、そんな人との繋がりを純粋に喜んでいるのが伝わってきた。


 いま、彼女は都内の大学で映画や演劇について学んでいる。卒業後は、映画や舞台などの裏方の仕事に就きたいと考えている。子どものころから、人を支える裏方の仕事が自分には向いているのではないかと考えていたのだという。


 インタビュー中の板野奈津は、常に前向きだった。つらかっただろうな、と思う体験も明るく振り返った。「健全なオーラが出ている」という事務所のマネージャーの評価もよく分かる。あまりの前向きさと率直さに気負いすぎているんじゃないか、と逆に心配になるほどだった。

「私の実家、二〇キロ圏内の警戒区域には入っていないのですが、福島第一原発に近いんですよ。地元には原発関係の仕事をしていた人がたくさんいたから、三・一一以前は原発に対して不安も何もありませんでした。原発は、あって当たり前みたいな感じだったかな。


 原発事故が起きたときは、それはもうびっくりしましたよ。これからどうなるのか不安でした。家族は一時避難生活を送っていましたが、いまは実家に戻っています。危ないから避難しろといわれても、どこで生活してどうやって生きていけばいいの、って話じゃないですか。みんな福島で生きていかなければならないわけですから。


 確かに原発事故の報道で放射能について知ると、怖いなと感じます。でも、同時に怖いといっていてもしかたがないとも思うんです。放射能って何が怖いのかよく分かんないし、怯えていても、何もはじまらないんだから」


 板野奈津は、宮城県との境に近い福島県北部の町で二〇一一年三月までの一九年間を過ごした。自宅は内陸部にあり「海までは山をひとつ越えるくらい。歩いて一時間か二時間」と話す。両親は、板野奈津を先頭に三人の子宝に恵まれた。子どものころから、ゲームやパソコンには見向きもせず、年の離れた弟妹の面倒を見ながら山で木に登ったり、沼や川でザリガニを釣ったりして遊んでいた。沿岸部の高校に進学。放課後になると同級生たちと浜辺を歩いたり、泳いだりして福島の海に親しんだ。「右を向いたら山、左を向いたら海みたいな感じ」のふるさとの風景を当たり前に感じていた。

「うちの地元、星が、チョーきれいなんですよ。子どものころは、ずっと地元の海と山に囲まれて生きていきたいと思っていました。田舎で育ったせいか都会が怖かったんです。治安が悪いと思っていたんでしょうね。郡山に行ったら悪い人に()(ぐる)み剥がされて、渋谷に行ったら、さらわれてしまってもう二度と福島に帰れないと信じていたほどですから(笑)。


 でも、将来の仕事を考えたとき、若いうちに都会でもまれておくのも悪くないかな、と東京の大学を受験したんです」


 二〇一一年三月一一日。一年間の浪人生活を経て、都内の大学への進学が決まっていた板野奈津は、友達が主宰する劇団の公演を観るために福島県福島市のライブハウスに足を運んでいた。そこで震度六弱の揺れに襲われる。一度目の揺れで大きなスピーカーがひっくり返った。立っていられないほどの激しさ。狭い会場はパニックに陥った。天井に吊された大きな照明が、ぐらぐらと揺れ続けていた。もしも、あれが落ちてきたら……。板野奈津は不安でしかたなかった。

「外に出ろ!」「早く! 早く!」


 スタッフの声が幾重にも響いた。外に出てみると、向かいの店のショーウィンドーが割れていた。電柱が倒れて電線が地面を這うように広がっていた。


 ライブハウスで一緒だった知人に自動車で自宅近くまで送ってもらった。携帯電話は繋がらない。自動車は渋滞に巻き込まれて思うように進まなかった。ふだんなら三〇分ほどの距離を一時間半ほどかけて帰宅するさなか、板野奈津の頭のなかは家族のことでいっぱいだった。両親と弟妹は無事だろうか。絶対みんな大丈夫のはずだ。一番、年上の私が早く戻らなきゃ……。


 自宅は屋根が落ちて壁が崩れ、柱には幾筋も亀裂が走っていた。家族は全員無事。両親と三人の子どもは半壊した家をあとにして近所の中学校に避難した。


 両親は近隣の人たちとともに情報を集めて、今後について話し合っている。板野奈津が小学生の弟妹や避難していた幼い子どもたちの面倒を見た。翌日からは避難所で水や食料などの分配や炊き出しなどのボランティアをはじめた。夜は、弟と妹と同じ布団で横になる。けれど、ゆっくり寝ているヒマはなかった。何度も携帯電話の電子音に叩き起こされる。

「緊急地震速報が目覚まし時計代わりみたいな感じ。何かあったら弟や妹をかばわなくちゃって気持ちだったから、緊張していたんでしょうね。速報が鳴るたびに飛び起きました」


 連続する余震。徐々に明らかになる沿岸部の津波被害。そして原発事故……。避難所の緊張感や焦りは日増しに高まっていった。大勢の人が町を出て県外に避難していった。だが、そんな避難生活のなか、板野奈津は姉としての責任を、家族のなかでの役割を感じていた。

「家族がみんな笑っていられた。それが何かを象徴していたというか……。うちの両親って楽観的で前向きなんですよ。一緒に避難していた近所の人たちはお年寄りが多いから、地域では若手のうちの両親がみんなのことを考えて明るく振る舞っていたんだと思います。それに両親が不安な素振りを見せたら、きっと子どもの私たちも不安になってしまう。同じように弟や妹たちが、一番上の私の姿を見ていると思いました。私が不安がれば、それが伝わっちゃう。両親のおかげで私も笑っていられました。私も弟と妹の前では笑っていようって決めたんです。避難所のピリピリした空気も、うちらが笑っていたら変わるんじゃないかって」


 何よりも、と板野奈津は語る。

「震災をきっかけに私にとって家族がすべてだったんだと気がつきました。いま振り返ると、不安や怖さはあったんでしょうけど、それ以上に家族みんなが笑っていられるならそれでいいじゃんって。(から)(げん)()がいつか本当の元気になる――私のなかにそんな気持ちが常にあったように思います。この言葉、さっき話した私が尊敬するローディーさんに教えてもらったんですけど」


 強い女の子だな、と思った。そう伝えると「全然ですよ」と板野奈津は笑った。

「実際は、口だけなんですよ。東京にきたばかりのころも泣いてばかりいましたし」


 

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