私は子供のころから学校が大好きでした。毎朝、誰よりも早く登校し誰よりも早く運動場で遊び始めていました。友達が一人また一人とだんだんに増え、皆と校庭で遊ぶことをこよなく楽しんでいました。無遅刻無欠席に近い状態だったと記憶しています。そんな学生生活を送っていましたが、父親の勧めで中学生の時にイギリスへ留学しました。
一五歳から二八歳までの青年期を欧米で過ごしたのです。
戦争で青春期を台無しにした父親の口癖は「おまえは好きなことをやりなさい」でした。その言葉を胸に現地では絵描きを目指し、映画から写真術と好きなことに邁進しました。
先進国欧米の光と影を目の当たりにした自分の興味はその後、対極にある未開地に現存する人間の原点探索に移行しました。
一方で宇宙開発に着手する世界から、他方では石器時代さながらに自然と共生する民の世界が同時に展開している地球を、二〇年かけて見聞して出した結論は、「先進文明国の民はアブノーマルで、自然共生する民はノーマル」
ということでした。
進化論からすると地球の生命体は単細胞の微生物の発生から動植物に進化し、最後に登場したのが哺乳類。その哺乳類の一種が人間とする学説が事実とするならば、最後に登場する哺乳類である人間はこの世で一番未熟な生命体ということになります。未熟な自分を成熟させるために自然界を壊す民と、自然界と共生し崇拝する民との違いは明白です。
先進国の民も自然と共生する民も同じ人間、恋をすれば歓喜し、恋に破れれば悩み苦しむのは同じです。一方は原子爆弾を行使する侵略戦争にまで至り、他方はなぜ穏やかなのでしょうか。その一番の差異とは……。
太古の時代、狩猟採取が糧だった時代には、溜めるということがなかったので、人々にはさほどの格差がありませんでした。やがて、狩猟採取時代から、器具を用いた農耕型の生活に移行すると、作物を溜めることになり、格差が生じるようになりました。しかし、賢い民は道具により効率化されても、余剰な作物は作らず格差も起こりません。また、効率化によって短縮されてあまった時間は家族との余暇にあてるということをしています。つまり「強欲」の対局にある「足るを知る」民なのです。そういう民がアマゾンにはいました。
われわれ先進国の民は自然共生(自然体験)がほとんど皆無になってから久しく、他方は自然共生を現在も堅持しているのです。
あくまでもキャンプは身近に自然体験ができる一つの方法ですが、確実に乱れた心身の調整を司り治癒力を高めます。キャンプへ行けば、国籍や性別、年齢を問わず、皆普段の社会的ストレスから解放され本来の自分に還れるのです。
本書が、賢い身体と健全な感性を育む親子キャンプの一助になれば幸いです。
教育コンサルタント・松永暢史さん、扶桑社・田中亨さん、水口星史さん、産経新聞社・喜多由浩さんには、多大な尽力を賜りました。ここに格別の感謝の意を捧げます。
二〇〇九年五月坂田和人