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「反日思想」歴史の真実
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政治・社会
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◆中国の反日デモの嚆矢と対支二一ケ条条約

『「反日思想」歴史の真実』
[著]拳骨拓史 [発行]扶桑社


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 第五章では日露戦争以後における中国人留学生を中心とした、親日ぶりを紹介したがこの動きは長くは続かなかった。

 中国の反日デモの最初は、一九〇八年の辰丸事件から始まる。

 日本汽船である辰丸号は広東で武器輸出の嫌疑によって積荷を不当に略取された。

 日本政府はこれに抗議し、謝罪を得て解決したが、日本の態度と中国外交の無能が中国人の反日に火を点け、日貨排斥を断行した事件である。

 その後、袁世凱による辛亥革命(しんがいかくめい)(一九一一年)が、日中関係の転機となり清は滅び、代わって中華民国が建国されることになるが、これ以降、中国からの留学生は激減しはじめ、それまでの日中親善の風潮が一度に消しとぶ出来事が起きる。

 第一次世界大戦が勃発した後、日本は中華民国に対して(一九一四年一二月三日)、


 ●ドイツが山東省に持っていた権益を日本に譲ること。

 ●遼東半島や満州鉄道の租借・権益権の期限を延長すること。


 など二一ケ条の要求を行ったのである。中国側ではこれに対して反対運動が巻き起こったが、日本は中華民国に最後通牒を勧告、一部修正のうえ五月九日に調印することになる。

 中国はこれ以降、この日を「国恥記念日」と呼び、排日・侮日運動を激化させていくことになる。中国は国恥記念唱歌「日本打倒の歌」をつくり、


 まことに(わる)い日本人

 朝鮮せしめて、奪った台湾、澎湖島

 待てよおれらも一刀提げて

 みんな日本兵を撫で斬りに

 やつらの国に攻め入って

 やつらの東京占領し

 たとい死んでも(いと)やせぬ
(『昭和の戦争記念館』)


 と、その恨みを老若男女にいたるまでに浸透させていったのであった。

 これが戦後日本で悪名高い「対支二一ケ条条約」である。これによってそれまでの日中提携的な空気は消し飛んだ。

 日本がこれまで中国人留学生を受け入れていたのは、親日家を養成するためであったが、日本にきた留学生の多くはこれ以降、抗日運動に参画していくことになる。

 郭沫若はこれを評して「中国の革命運動は、だいたいその源を日本留学生に発している」(「鳧進文芸的新潮」、『新文学史料』第三期所収)と述べている。

 だがもちろん日本にも言い分はある。

 そもそも二一ケ条の内容は孫文が日本に打診していた内容に近く、租借期限の延長についても当時のイギリスの香港租借と同じであるので過酷ではないという見解があるのだ。

 また「最後通牒」を突きつけたことが非難されているが、じつはこれは中国が突きつけてほしいと要請したものであった。中国は内容を了解しながらも、面子を立てるために「やむなく調印した」ふうに見せたかったのである。これは後の外務大臣・東郷茂徳の回顧録や当時の外務大臣・加藤高明の伝記などに記録されている事実である。

 以上の考え方は日本の立場からは正しい。

 だが中国からすれば「イギリス同様だから過酷ではない」と言ったところで、「日本は白人の帝国主義と同じことをするのか」と返すだけであろう。事実、日本が二一ケ条の要求を行ったとき、日本のマスコミが拍手喝采で強硬路線を支持した反面、玄洋社や黒龍会のような右翼といわれる民間団体は「米英の帝国主義の手先のようなことをやって、弱い新政府を恫喝するとは何事か!」と猛反対している。

 日清日露戦争で日本が築き上げてきた友好は、この一時をもって崩壊していくことになり、以後、中国は反日抗日の歴史へと突入していくことになる。

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