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(2021/11/26 追記)

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詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

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プレッシャーを味方にする心の持ち方
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生き方・教養
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1章 僕は常に否定されてきた人間

『プレッシャーを味方にする心の持ち方』
[著]清水宏保 [発行]扶桑社


読了目安時間:32分
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■「清水君は、スピードスケート選手としては絶対に大成しない」

 

 金メダリスト。この経歴を見ると、私は順風満帆に結果を残してきたのだろうと、挫折もなくきたのではないかと思われがちですが、自分では「僕は否定され続けた人間」というレッテルを貼られてここまできたと思っています。

 ひとつに、私は身長が162センチもありません。162センチがどういうことかというと、一般的にもかなり低い身長ですが、そもそもスピードスケートの世界では、まずありえない身長なんです。

 今から20年、30年前というのは、スピードスケートの世界では180センチ以上ないと世界で活躍できないと言われていました。入賞すらできない、ましてやメダルうんぬんなんて考えられないという強い固定観念があった。

 そのため、小学校からずっとスケートを続けてきたわけですが、小柄な私はそれだけで指導者から見放されていました。
「清水君はもう、スピードスケート選手としては絶対に大成しない」

 こう宣告されていたのです。さらに、
「今年成績がよくても、来年、再来年には消えてしまっている将来性のない選手、それが清水君なのではないかな」

 とさえ言われました。関係者や、学校の指導者からも「負の太鼓判」を押されていたのです。

 その中で、父だけが唯一、そんな常識に捉われず私を(はげ)ましてくれました。嬉しかった。ただ嬉しかった。父を大好きで尊敬していたし、素直にそうできると信じていた。

 


 
■「ぜんそく」というハンデを背負って

 

 私がスケートを始めたのは、「ぜんそく」を克服するためでした。3歳のときです。

 小柄な私は、幼いころから体が弱い子どもでした。そのうえアトピー性皮膚炎も(わずら)い、さらに蓄膿症(慢性副鼻腔炎)でぜんそく持ちで、しょっちゅう風邪をひいては、その度に大騒ぎで病院に(かつ)ぎ込まれていました。

 特に、ぜんそくはひどいものでした。

 発作に見舞われると、普通に立っていることすらできないほど。深夜や未明を問わず、4時、5時ごろにひどい発作に襲われることもありました。家族や、特に母は心配で心配でおちおち寝ていられなかったようで、今でもとてもとても感謝している。
「そもそも、ぜんそく患者はスポーツをやっちゃいけないよ」「ぜんそくは命に関わる問題なので、スケートをやっていても、選手としては大成しないのですぐにやめてください」

 このように、どの病院の先生からも同じことを言われ続けてきたのです。さらに私は滑膜嚢胞(かつまくのうほう)、腰椎分離症、椎間板ヘルニア、すべり症という腰の持病もありました。内科ばかりではなく整形外科の先生からも前例を持ち出され、「だからあなたは無理ですよ」「医学的な見地からも、選手として成功するのは無理です」と否定されたことが何度もありました。

 そんな私がオリンピックの金メダリストになれたのは、体を(きた)えることでぜんそくを抑え込んでしまえという父の考え方に基づいて、幼いころから鍛えられたからです。鍛えることによって、持病ともつきあっていくことができました。
「今はこうして、ずっと否定され続けているけれど、それを(くつがえ)す唯一の方法は、結果を出すことだよ」

 と父に言われ続けたことが、大きな心の支えでした。

 


 
■初めてスケート靴を履いた日

 

 父は非常に厳しい人で、いろんなスポーツをさせられました。柔道、レスリング、サッカー、剣道……手当たりしだい、もう何でも。父はとてもスポーツが好きでした。私は4人兄弟の末っ子ですが、兄は柔道とレスリングを、2人の姉はアイスホッケーとスピードスケートをやらされるといった具合でした。

 そんな中で私がスケートを選んだのは、これが一番自分に合ったスポーツだと、幼いながらに思ったからです。タイムや勝敗が明確であること。そして何よりそのスピード感に魅了されました。

 初めて滑ったときのことは、今でもはっきり覚えています。

 その日はすぐ上の姉の練習を見にスケート場に行ってスケートしている少年団の子どもたちを(なが)めていました。そのうちに、「ああ、ああいうふうに滑ればいいんだ」ということがわかったんです。だんだん興味がわいてきて、スケート靴を履き、リンクに降りてみました。そしてしばらく氷の上に寝そべって平泳ぎしたりして遊んでいたんですが、「ちょっと滑ってみようかな」と。すると、いきなり普通に滑れたんです。

 いつでも何についても兄や姉がしていることを見てそれを真似(まね)ていたので、スケートの滑り方もその要領で、見たものを頭の中で噛み砕いて理解し、真似する能力がついていたからなのかもしれません。

 それを見た父親は、「この子は上の3人とはちょっと違う」と思ったらしいです。まったく教えていないのに、見よう見まねで滑れてしまったのですから。「この子はセンスあるなぁ」と。

 それから、父との二人三脚のトレーニングが始まりました。

 


 
■人生で初めての挫折

 

 ぜんそくと戦いながら、父の厳しいトレーニングに耐えながら、私は順調にスケートの力を伸ばしていきました。地元の帯広市では強豪校とされている白樺(しらかば)学園高校に入学して、スケート部に入りました。当時、中学生の中では飛び抜けた実力があったので、高校入学の時点で上級生には負けないぐらいの力がありました。

 さらに実力を伸ばしていこうと意気揚々としていたのですが、実はここで初めての挫折、障壁に当たります。スケートを()めようと思ったんです。原因は「いじめ」でした。

 当時は「シゴキ」と呼んでいましたが、どこの高校の運動部でもよくあることでした。スケート部のシゴキも、伝統みたいなもので、入学してから半年間ぐらいは、毎日殴られるのです。

 例えば朝練のとき、先輩より先に練習場に行って直立不動で待っていなければならないのですが、助走つきでいきなり殴られるのです。
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