『賭けるゆえに我あり (森巣博 ギャンブル叢書2)』
[著]森巣博
[発行]扶桑社
熱くならなければ、大勝できない。また同時に、熱くなっては勝負に負ける。
矛盾を承知の上で書いている。
前者は、いわゆる「ホットロール」と呼ばれる状態だ。
勝負卓に敷かれた染みひとつない羅紗の上で、知らないうちに自我が溶解する。恐怖を忘れ、しがらみを断ち切り、大賭金でぶんぶん行く。日常の生活では眼が回るような金額を、二分の一の勝敗確率しか持たないものに、どかどかと賭ける。断固として、行く。絶対に、行く。
これがまた、よく的中するのよ。不思議なくらい当たる。手がちぢこまっていたら、決して大勝はできない。
NO GUTS, NO GLORY.
結構じゃ、ござんせんか。
やってやろうじゃ、ないのさ。
ふと気付くと、席前の卓上に、チップの山が築かれている。
まさにマジック・モーメントである。
ああ、あの時間帯は、いったいなんだったのだろうか、とあとになって考える。
「ホットロール」は、めったに起こることじゃない。でも、起こる。永い間博奕を打っていれば、必ず起こる。
一方、負けて熱くなるのは、ちっとも珍しいことじゃない。しじゅう誰もが経験しているだろうと思う。
叩かれても叩かれても、向かっていく。
それまでの負けを受容して、席を立てない。次の手が負けるだろうことを、じつは自分でも予感しているのである。それでも、賭金を張る手が止まらない。そうやって、傷口を広げていく。
この状態を、賭場では、
――眼に血が入った。
と呼ぶ。
眼に血が入ってしまえば、もう勝負の目は読めない。
だから負けて熱くなった者は、経験を積んだ打ち手たちのいい餌食となってしまう。
「あんたは、こやしになれや」
徹底して、裏目を張られる。
堕ちる者は、どこまでも堕ちる。
勝利に越えづらい天井があっても、敗北にはなぜか底がない。