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<戦国時代>人物列伝 智将・直江兼続をめぐる二七人
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歴史
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上杉家・一門

『<戦国時代>人物列伝 智将・直江兼続をめぐる二七人』
[著]橋場日月 [発行]学研


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仙洞院景勝母 せんとういん 大永四年?享禄元年?~慶長十四年


 名は(あや)。一般に「仙桃院」と呼ばれることが多いが、戒名は「仙洞院」なのでそちらを用いる。(だい)(えい)四年(一五二四)、あるいは(きよう)(ろく)元年(一五二八)の生まれとされる。(なが)()(ため)(かげ)の娘で、(けん)(しん)の二歳あるいは六歳年上の姉である。


 (てん)(ぶん)六年(一五三七)頃、上田長尾氏の(まさ)(かげ)との婚約が整い政景の(さか)()城に輿(こし)()れする。結婚の年はおそらく翌年だったのではないだろうか。政景との間にもうけた子供は二男二女。長男(よし)(かげ)は十歳で死去し、次男が(かげ)(かつ)である。長女(はな)(ひめ)()(けい)(いん))は(ほう)(じよう)氏から謙信の養子に入った三郎(かげ)(とら)の正室となり、()(たて)の乱で自害している。次女は(じよう)(じよう)(まさ)(しげ)の正室。


 夫政景は、謙信の家督相続に一貫して反対する側に属し、天文十九年(一五五〇)には正面きって反旗を翻した。だが翌年、謙信の武力の前に降伏。これにより、仙洞院もようやく心安らかな日を送ることができるようになっただろう。


 しかし、(えい)(ろく)七年(一五六四)に事態は暗転する。政景が急死したのだ。その死については、謙信の軍師で()()(じま)城主の()()()(さだ)(みつ)と池に舟を浮かべて酒宴を楽しんでいた最中に、定満ともども飛び込んで泳ぎ始め、二人とも(でき)()したという説(『上杉家御年譜』)や、政景の向背を疑った定満が政景を道連れにして池に身を沈めたという説などあるが、真相は闇の中である。ただ、定満についてはその実在も疑われている人物であり、これらの説もあてにならない。


 夫を亡くした仙洞院は景勝を連れて春日山城に戻り、北の丸に一時居住したが、その後、長女が景虎室となったのに伴って景虎の本拠の御館に移り住んだ。


 実の息子景勝と娘婿景虎が上杉家の家督を争った御館の乱後は春日山城に戻り、景勝の転封に従って会津、米沢と移る。

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